17時、依然難解
大盤解説会場の様子
午後のおやつ(2日目)
開催秘話
牧之原市将棋によるまちづくり実行委員会会長 永田正之さんに本局の開催に向けての話をうかがいました。
(永田さんは青野九段〔焼津市出身〕や神谷広志八段〔浜松市出身〕、加藤桃女流三段の父、康次さんとも交流があったそうだ。加藤康次さんは地元静岡の将棋の名門、藤枝明誠高校の顧問として慕われていた)
王位戦は伊藤園が特別協賛になったことで、お茶の印象が強くなりました。牧之原市内には伊藤園の静岡相良工場や中央研究所があるので縁があります。永田さんはそこに目をつけました。この市で王位戦のタイトル戦ができないかと思ったのです。「(ほかの棋戦でなく)その一本に絞りました」と笑みを浮かべました。
しかし誘致に向けては財政面や対局場についての問題がありました。個人や支部だけの力だけでは難しく、行政の協力がないと動けません。
そこで永田さんが牧之原市長の杉本基久雄さんに企画書を提出しました。市長が積極的に動いたことで誘致が決まったそうです。そして対局場となる歴史のある相応しい地を探すことになり、すぐに市長が「平田寺がいいのでは」と候補に挙げたとのことでした。
今回は当初第4局の開催予定だった嬉野市での対局が流れたため実現しましたが、シリーズが始まる前は「藤井さんは8割3分勝っていますので、開催できる確率は2割もないのではないか」という思いだったそうです。事情が事情なため、心から喜ばれた様子ではありませんでした。
対局日前日(4日)に行われた市長のあいさつでは「もっと将棋のまちとしてさらに広めていきたい」とのことでしたので、今回の誘致を機に、牧之原市が中部地方を代表する将棋のまちになるかもしれません。
将棋と田沼意次
田沼意次は徳川家10代将軍徳川家治によって重用されました。これは父の9代将軍家重の遺言にしたがったことと言われています。家治の祖父である8代将軍吉宗の行った「享保の改革」は倹約と増税による財政再建を目指したものでした。しかしそのシステムに限界がきて各地で一揆が多発。これを立て直すために田沼意次は奔走したのです。政策中に大災害に見舞われる不運もありましたが、幕府のために生涯を尽くしました。田沼意次というと賄賂のイメージがあるかと思いますが、当時の時代はそれが当たり前だったという説もあります。近年の研究によって評価が見直されている人物です。
家治は七段の腕前があるといわれ、詰将棋を作成するなど将棋を愛した将軍でした。趣味に没頭できたのも、田沼意次が政治を担っていたおかげかもしれません。また、自身も将棋を嗜んだといわれています。詰将棋も作成されたそうです。
【王位戦第5局が行われる茶どころ・牧之原と将棋の縁 詰め将棋を自作したあの政治家の腕前は?(東京新聞)】
https://www.tokyo-np.co.jp/article/199462
【田沼意次物語~新時代への一手~ (B&G財団)】
https://www.bgf.or.jp/activity/ijin-manga/20220418_makinohara-shi.html




先手は▲7二銀や5四歩の拠点が主張。後手は9八角が影になっているうちに手番を生かしていきたいところです。時刻は17時を回りましたが、形勢はほとんど互角の範囲内に収まっています。











