2025年7月

2025年7月16日 (水)

20250715116局面はクライマックスです。永瀬九段は先手玉に迫り続けます。▲6九同飛△7八銀成▲5九玉△6九銀成▲4九玉に△1六角が強手。
20250715122以下▲1六同香△5九飛▲3八玉△2六桂に(1)▲2八玉△2七歩▲同玉△2九飛成の変化は、先手玉に即詰みがあってもおかしくありません。(2)▲4七玉が正着で、△4六歩▲同玉△4五金▲4七玉(変化図)が打ち歩詰めの形で逃れます。
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検討では先手勝勢と見られ、終局近しの声が聞かれはじめました。
Img_9882(18時を回っても、まだ外は明るい)

2025071511240分の長考で角を打ち、△5八金までの詰めろをかけました。永瀬九段の残り時間は8分。藤井王位はわずか1分で▲4八金と指し、詰めろを解除しました。検討では、▲4八金に後手からの有効な継続手が見つかっていません。後手の攻めが止まれば、▲1二とで飛車を入手してから▲7一飛の王手金取りで後手玉を寄せる道筋が見えてきます。
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有馬温泉は多くの偉人に愛された地でもあります。奈良時代の高僧・行基は、荒廃していた有馬温泉を薬師如来のお告げにより再興し、温泉寺や施薬院を建立したと伝えられています。その功績から有馬温泉の三恩人(仁西、豊臣秀吉)のひとりとしていまなお、敬われています。

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0008(法然上人も有馬温泉を訪れて説法を行い、特に極楽寺では中興の祖とされる)

Img_9603(ねねの像。豊臣秀吉の正妻として知られる)
Img_9623(ねねの視線の先には秀吉像)

20250715103局面は終盤戦に突入しました。上図は歩を突き出し、△2四同歩は▲2三銀が飛車金両取り。△2四同金も▲4二銀から▲3三銀不成があります。後手は歩を放置して△7五桂で攻め合いを志向しました。以下▲2三歩成には△6六銀が妙手。▲同歩△6七銀▲5九玉に△8七桂成が詰めろになります。実戦は△7五桂以下▲7七金△8八銀▲7八金△8七銀と進んで下図。

20250715108にわかに流れが激しくなりました。検討陣は「永瀬九段が勝負を懸けたように見えます。優劣は不明ですが、決着はつきそうです」と見解を示しました。

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極楽寺は、594年に聖徳太子が創建したと伝わる有馬最古の寺院。阿弥陀如来坐像を本尊とする浄土宗の古刹です。平安末期の洪水で荒廃しましたが、1191年に仁西上人によって再興されました。
念仏寺は、1538年に岌誉上人によって創建され、後に豊臣秀吉の正室・北政所(ねね)の別邸跡に移転した浄土宗の寺院です。本堂は有馬温泉郷最古の建築物とされ、阿弥陀如来立像を本尊としています。
源泉天神(天神泉源)は、有馬温泉街にある七つの主な源泉のひとつ。菅原道真をまつる天神社の境内に湧く代表的な金泉の泉源です。地下206メートルから毎分28リットル、98.2度の高温で湧出しており、鉄分と塩分を多く含む金泉の中心的な存在です。天神社は平安時代に北野天満宮の分霊を勧請して創建された歴史ある神社で、天神泉源は有馬温泉の歴史と信仰の中心地となっています

0006(極楽寺)

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