2020年7月
2020年7月 2日 (木)
豊橋市散策(4)
豊橋公園内、石垣に沿って入っていくと吉田城跡の本丸に出ます。かつては中央に将軍上洛時の御殿があったと伝わりますが、いまや四隅にあった櫓のうち、復元された鉄櫓(くろがねやぐら)しか残っていません。鉄櫓は天守とは呼ばれませんでしたが、実質的な天守だったと見られています。
(吉田城跡の本丸から高さ15メートルの鉄櫓を望む)
吉田城は当初は今橋城として1505(永正2)年に築城され、東三河の要衝として今川・武田・徳川ら戦国武将が攻防を繰り返した歴史を持ちます。その後、1590(天正18)年に豊臣秀吉は仕えていた池田輝政を15万2千石の大名として吉田城に国替えし、池田輝政は城地を拡張し、城郭を大改修しました。いま残る鉄櫓は無料で開放され、見学できます。
杉本昌隆八段来訪
一直線の寄せ合いは先手負け?
豊橋市散策(3)
昨日、市内を散策した続きです。「駅前」から市内電車を10分ほど乗り、「市役所前」電停で降りて市役所のほうに道路を歩いていくと、突き当たりが豊橋公園になります。

図の▲5三銀は控室では検討されていた▲5三角と違い、△3三玉▲4四桂(1)△4三金に▲3二角(変化図)の寄せを用意しています。△5三金とされても角が盤上に残り、この順は後手が勝てません。
本譜は(2)△2二金と寄り、藤井聡七段は1分の少考で▲3二金と清算しにいきました。変化手順の中に気づきにくい手があるようで、控室では一転して後手玉が寄るかもしれないと色めき立っています。










昼食休憩明けの△3九馬に対し、控室では当初、▲5三角△3三玉▲4四桂△4三金▲3二銀と寄せにいく順が検討されました。しかし、△5三金▲同と△3五歩(変化1図)で、寄せが発見されていません。
以下、▲4三と△3四玉▲2六金には△4六銀打(変化2図)がしっかりとした受けになり、先手も手順中のどこかで▲4九金打や▲4九歩など、受けに回らざるをえないのではないかと見られています。













この先、終局まで休憩はありません。