関根名人記念館は、野田市と関宿町の合併にあわせ、2004年4月に「いちいのホール」5階に開館しました。今年で20周年です。
関根金次郎十三世名人(1868-1946)は下総国葛飾郡東宝珠花村(野田市東宝珠花)の出身。八代伊藤宗印十一世名人や十二代大橋宗金の門をたたき、1921年に十三世名人となりました。家元制度や終身名人制を廃止し、実力名人制としたことで「近代将棋の父」と呼ばれています。記念館では、関根十三世名人にまつわる数々の品や写真が展示されています。村中七段や脇田女流初段は関根十三世名人の系統です。
村中七段-高柳敏夫名誉九段-金易二郎名誉九段-関根十三世名人
脇田女流初段-中田章道七段-板谷四郎九段-木村義雄十四世名人-関根十三世名人
【関根名人記念館】
https://www.city.noda.chiba.jp/shisetsu/bunka/1028434.html
【棋士系統図】
https://www.shogi.or.jp/diagram2023.pdf
(展示室の入り口には、関根、小野五平、坂田三吉の写真が飾られている)
(牛蒡)
13時から現地の大盤解説会が始まりました。
【第3局現地大盤解説会中継】
https://www.youtube.com/watch?v=sNS-mBRQRfM
(牛蒡)
1974年は女流名人戦が創設された年であり、女流棋士制度が発足した年でもあります。女流名人戦は第50期、女流棋士発足50周年を迎えました。
最初の女流棋士は6人でした。蛸島女流三段は74年以前から女性プロとして活動していましたが、5人はアマチュアから女流棋士になりました。
蛸島彰子女流三段
関根紀代子女流二段
多田佳子女流二段
山下カズ子女流初段
寺下紀子女流初段
村山幸子女流初段
(段位は当時)
そして最初の棋戦が女流名人戦。女流二段以下の5人でトーナメント戦を行い、寺下女流初段が優勝。シード扱いの蛸島女流三段と寺下女流初段が三番勝負を戦い、蛸島女流三段が2連勝で初代女流名人の座に就きました。10代目が西山女流名人です。女流棋士は、現在では110人を超えています(引退・退会者を含む)。
今年6月16日には、女流棋士発足50周年記念イベントが開催されます。主催は日本将棋連盟女流棋士会と日本女子プロ将棋協会(LPSA)。2月1日には、女流棋士発足50周年実行委員のX(旧Twitter)アカウント「 @50thjyoryukishi」も開設されました。同アカウントが発信する続報をお待ちください。
【女流棋士発足50周年実行委員@50thjyoryukishi】
https://twitter.com/50thjyoryukishi
(牛蒡)
図は10時30分ごろの局面。村中七段に話を聞きました。
「後手は飛車を動かす前に2筋の歩を伸ばしています。意欲的な駒組みです。先手はそれより穏やかですね。▲4六歩(図)と突いたので、もう少し模様を張ろうとしています。後手は△7三銀から飛車を振り、矢倉に組むのが第一感です」
……と解説していたところ、図で△5三銀上が指されました。
「△7三銀とは全然違いましたね。これだと後手は居飛車もあります。3二あたりまで玉を移動してから△3五銀でしょうか。△6四銀や△5五歩~△5四銀はちょっとしっくりこない感じがします。▲3六歩は△3二飛が気になるので少し指しづらいですね」
【西山朋佳女流名人の意地の反撃か、福間香奈女流四冠の3期ぶりVか】
https://hochi.news/articles/20240204-OHT1T51052.html
(牛蒡)