第61期王位戦七番勝負第1局 Feed

2020年7月 2日 (木)

15時、両対局者に午後のおやつが出されました。藤井聡七段はアイスミルクティー。木村王位は豊市のどうまい牛乳プリンです。

Oya13 (藤井聡七段のおやつ)

Oya15 (木村王位のおやつ)

Oya17 (昨日の午後に藤井聡七段も頼んでいた逸品)

Oui202007010101_61図の▲5三銀は控室では検討されていた▲5三角と違い、△3三玉▲4四桂(1)△4三金に▲3二角(変化図)の寄せを用意しています。△5三金とされても角が盤上に残り、この順は後手が勝てません。

_65本譜は(2)△2二金と寄り、藤井聡七段は1分の少考で▲3二金と清算しにいきました。変化手順の中に気づきにくい手があるようで、控室では一転して後手玉が寄るかもしれないと色めき立っています。

Oui202007010101_65

Fuuji12 (対局再開前、棋譜を確認する藤井聡七段)

豊橋公園内、石垣に沿って入っていくと吉田城跡の本丸に出ます。かつては中央に将軍上洛時の御殿があったと伝わりますが、いまや四隅にあった櫓のうち、復元された鉄櫓(くろがねやぐら)しか残っていません。鉄櫓は天守とは呼ばれませんでしたが、実質的な天守だったと見られています。

Toyo19(吉田城跡の本丸から高さ15メートルの鉄櫓を望む)

吉田城は当初は今橋城として1505(永正2)年に築城され、東三河の要衝として今川・武田・徳川ら戦国武将が攻防を繰り返した歴史を持ちます。その後、1590(天正18)年に豊臣秀吉は仕えていた池田輝政を15万2千石の大名として吉田城に国替えし、池田輝政は城地を拡張し、城郭を大改修しました。いま残る鉄櫓は無料で開放され、見学できます。

Toyo20 (内部にはさまざま資料が展示されている)

Toyo21 (かつての姿を再現)

Toyo22 (足元に「吉田城下町推定図」)

Toyo23 (鉄櫓は豊川の曲がり、朝倉川との合流付近に建つ)

Toyo24 (最上階の4階の窓から豊川を望む)

Toyo25 (天守の窓と同じで、横に広く視界を取ることはできない)

Toyo26 (池田輝政ってどんな顔?)

Oui202007010101_60_2昼食休憩明けの△3九馬に対し、控室では当初、▲5三角△3三玉▲4四桂△4三金▲3二銀と寄せにいく順が検討されました。しかし、△5三金▲同と△3五歩(変化1図)で、寄せが発見されていません。

_68以下、▲4三と△3四玉▲2六金には△4六銀打(変化2図)がしっかりとした受けになり、先手も手順中のどこかで▲4九金打や▲4九歩など、受けに回らざるをえないのではないかと見られています。

_72

Fujii11 (藤井聡七段はどのような方針を見せるのか)

昨日、市内を散策した続きです。「駅前」から市内電車を10分ほど乗り、「市役所前」電停で降りて市役所のほうに道路を歩いていくと、突き当たりが豊橋公園になります。

Toyo13 (市役所の隣に緑豊かな豊橋公園が広がる)

Toyo14 (豊橋公園は「日本の歴史公園100選」の1つに選定された)

Toyo15 (面積は20ヘクタールあまりに広がる)

Toyo16 (ソテツと数十センチメートルの幹を持つマツ。石碑に「二の丸口門跡」)

Toyo17 (真っすぐ北に向かって奥に入っていくと石垣が)

Toyo18 (石垣の手前は堀の跡になっていた)