「中の坊瑞苑」近辺の見どころをいくつか紹介していきます。写真は徒歩2分ほどの所にある袂(たもと)石。礫(つぶて)石とも呼ばれます。
袂石(礫石)
昔、この北二里ほどのところにあった道場城の殿様が葦毛の馬に乗り重藤の弓と白羽の矢を持ち、有馬の山で鷹狩りをしたことがあった。山中で出会った美しい乙女を怪しく思った殿様は乙女に向かって矢を放った。そのとたんに、殿様は目がくらみ落馬してしまったという。実は乙女は、湯泉神社に祭られる熊野久須美(くまのくすみ)の女神であった。矢を放たれて逃げながら乙女は袂に小石を入れて身構えたが、殿様が落馬して追ってこられないことを知って、ここに袂(たもと)の小石を捨てたとも、逃げながら乙女が殿様に小石の礫(つぶて)のように投げたともいう。その小石が時とともに大きくなってこの巨石になった。袂石とも礫石とも呼ばれるこの石には、女神の力がやどっているという。この言い伝えから江戸時代には、葦毛の馬・重藤の弓と白羽の矢・鷹狩りの姿で有馬を訪ねると、神の怒りで山河が鳴動するほどの大嵐になると恐れられていた。
一説では、この巨石は有馬ではやった疫病を追い払おうと、大己貴(おおなむち)の神が六甲山から投げ降ろしたものなので、この石をさすった手で体をなでると、病や怪我がいやされるとも信じられてきた。
小石が年とともに巨石に成長するという信仰は日本各地にあり、「さざれ石の巌となりて」という君が代の歌詞も同様の考えに基づいている。なお、『西摂大観』では乙女に矢を射たのは松永某と記されているが、道場城主なので正しくは松原氏であろう。