2015年7月

2015年7月21日 (火)

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12時30分、38手目△2二玉の局面で昼食休憩に入りました。ここまでの消費時間は▲羽生1時間50分、△広瀬1時間19分。昼食は羽生王位に肉うどん膳、広瀬八段に神戸牛すき鍋膳が出されます。

中の坊瑞苑の正面には有馬川が流れ、ねね橋は中の坊瑞苑のすぐ目の前に架かっています。橋のたもと、中の坊瑞苑の側に「ねねの像」が立っています。

P72004080(ねねは太閤秀吉の正室)

P72105721(有馬川に架かる「ねね橋」)

「中の坊瑞苑」近辺の見どころをいくつか紹介していきます。写真は徒歩2分ほどの所にある袂(たもと)石。礫(つぶて)石とも呼ばれます。

P72004050

袂石(礫石)
昔、この北二里ほどのところにあった道場城の殿様が葦毛の馬に乗り重藤の弓と白羽の矢を持ち、有馬の山で鷹狩りをしたことがあった。山中で出会った美しい乙女を怪しく思った殿様は乙女に向かって矢を放った。そのとたんに、殿様は目がくらみ落馬してしまったという。実は乙女は、湯泉神社に祭られる熊野久須美(くまのくすみ)の女神であった。矢を放たれて逃げながら乙女は袂に小石を入れて身構えたが、殿様が落馬して追ってこられないことを知って、ここに袂(たもと)の小石を捨てたとも、逃げながら乙女が殿様に小石の礫(つぶて)のように投げたともいう。その小石が時とともに大きくなってこの巨石になった。袂石とも礫石とも呼ばれるこの石には、女神の力がやどっているという。この言い伝えから江戸時代には、葦毛の馬・重藤の弓と白羽の矢・鷹狩りの姿で有馬を訪ねると、神の怒りで山河が鳴動するほどの大嵐になると恐れられていた。
一説では、この巨石は有馬ではやった疫病を追い払おうと、大己貴(おおなむち)の神が六甲山から投げ降ろしたものなので、この石をさすった手で体をなでると、病や怪我がいやされるとも信じられてきた。
小石が年とともに巨石に成長するという信仰は日本各地にあり、「さざれ石の巌となりて」という君が代の歌詞も同様の考えに基づいている。なお、『西摂大観』では乙女に矢を射たのは松永某と記されているが、道場城主なので正しくは松原氏であろう。

王位戦七番勝負では固定カメラにより、対局者の様子をモニターできます。以下のページで対局開始から終局まで、約1分ごとの更新です。写真は11時過ぎの様子。両者とも下を向いて悩ましそうな様子を見せていました。
http://live.shogi.or.jp/oui/camera/

Habu01

Hirose01

そのすぐ後に△6五歩が指されました。△6五歩までの消費時間は▲羽生57分、△広瀬49分。

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▲2六歩△8四歩の出だしで、このまま▲2五歩△8五歩と飛車先を伸ばし合う進行ならば相掛かりが濃厚でしたが、本譜は△8四歩以下、▲7六歩△3二金と進みました。図は10時20分頃、23手目▲6八玉までの局面。角換わりに進みました。所司七段によると2手前の▲3六歩が若干早いとのことです。


■Twitter解説■

所司和晴七段>▲3六歩は若干早いです。普通は▲4七銀と上がって腰掛け銀を目指すのが多いです。狙い筋としては▲3八銀型のまま▲3七桂と跳ね、▲2五歩△3三銀▲4五桂と急戦にいく含みがあります。