2015年1月12日 (月)

おはようございます。
第64期王将戦七番勝負第1局2日目は9時前から前日の指し手が再現され、9時前後に封じ手開封~対局開始となります。

【棋譜中継】
第64期王将戦七番勝負の棋譜中継は毎日新聞社特設サイトで行われています。こちらのページからご覧ください。また、携帯アプリ「日本将棋連盟モバイル」でも中継しております。

Img_1295掛川駅前にある奴さん時計。

本日もよろしくお願いいたします。

2015年1月11日 (日)

立会人の青野九段と記録係の吉田五段に1日目の感想、副立会人の中座七段に2日目の展望を聞きました。

青野九段「▲5五銀左から▲4七銀を用意してきたというのは意外な感じもします。もちろん、この手順は知っていて、途中からこうなると思ったでしょうけど、実戦は生き物で、気が変わることもありますから。郷田さんの直球に、渡辺さんが曲線で狙いをかわしてペースをつかもうとしていますね」

中座七段「封じ手以降で形勢が一気に傾いてもおかしくないですね。双方の角がどうなるか。△5五同銀▲4七銀の次の手が注目です。そこが勝敗にも影響を与えそうです。それにしても、▲5五銀左は驚きました」

吉田五段「先後同型になった昼食休憩の局面で、私の本(『これからの角換わり腰掛け銀』)では▲4五歩は先手大変ということで▲9八香の変化で千日手模様と解説しました。渡辺王将がどこで変化するのかなと思って見ていましたが、▲5五銀左は気付きませんでした。郷田九段が長考されたので、何を出してくるか注目したいです」

Img_149018時を回り、郷田九段はすぐに封じる意思を示して別室へ。

Img_150218時10分に封じ手を終えて戻ってきた。

Img_1511渡辺王将が封緘のサインを書き加える。

Img_1523郷田九段から立会人の青野九段に渡されて封じ手が完了した。

Img_15261日目が終了、対局は明日9時から指し継がれる。

明日は9時前から1日目の指し手が再現され、9時前後に封じ手開封、その後すぐに2日目の対局が開始されます。封じ手予想は△5五同銀で全員一致。次の手も▲4七銀の一択とされ、問題はそこで後手がどう指すかという点に絞られています。

郷田九段が動かないまま、刻々と時間が過ぎています。控室ではこのまま封じ手の可能性が高いと言われています。

Img_1460封じ手までで終了する1日目の大盤解説会は立会人と副立会人がそろい踏み。
中座七段「青野先生はどちら持ちですか」
青野九段「△5五同銀▲4七銀の局面で後手が大変だ、とは言ってましたが、悪い……とまでは言えないですよね」
中座七段「そうですよね。悪いという感じはしませんよね。ところで、このまま封じると、次の一手は間違いなく△5五同銀ですよね。封じ手予想クイズが全員正解になってしまいますがどうしましょう」
青野九段「ここまで来たらもう指さないでしょう。封じ手予想クイズは全員正解で大抽選会ということでいいじゃないですか笑」

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Img_146817時30分頃の対局室の様子。このまま封じるのか。

控室に戻ってきた青野九段は「もうこれは指さないです」と断言しました。「△5五同銀を指してしまうと▲4七銀と指されて、次の手を決めなければいけない。郷田さんは▲4七銀の局面でヘタな手を指したら負けだと思っているのでしょう。だから現局面で封じて▲4七銀の局面でどうするかを一晩考えるつもりですよ」とのことだ。

時刻は17時を回りました。
対局は前例のなくなった▲5五銀左の局面で郷田九段が大長考中です。

本局で使用されている駒は「掬水作・源兵衛清安書」。王将戦の対局用にと、地元経済人の集まりである「ゼロの会」が用意したものですが、書体の源兵衛清安は青野九段が勧めたとのこと。「書体は好みですが、私は源兵衛清安が一番落ち着く気がするんですよ」と青野九段。

Img_1328渡辺王将側の王将。

Img_1324郷田九段側の玉将。

Img_145817時を回って青野九段が封じ手の準備をしている。

掛川城は室町時代に今川氏が家臣の朝比奈氏に築城させたのが始まりとされています。戦国時代に後の土佐藩主、山内一豊が大規模な修築や城下町の整備を行って、東海の名城と呼ばれるほどになりました。
その後地震により天守は失われましたが、1994年に市民や地元企業からの募金より再建され、掛川のシンボルとして整備されています。

Img_1265広い敷地内は掛川城公園として、市民や観光客に親しまれている。

Img_1272 日本初の「本格木造天守閣」として復元された。

Img_1273二の丸の茶室が対局場になっている。普段は掛川茶を楽しむことができる。

Img_1274右奥が対局室。

Img_1267城内にはお堀も再建されている。

前日の記念写真に忍者が登場していますが、これは織田信長に討たれた今川義元の子、氏真が甲斐の武田氏に追われて掛川城に立て籠もった際に、徳川家康が掛川城を包囲して攻めていますが、そのとき服部半蔵率いる伊賀の忍者が家康の配下として活躍したことが由来となっています。