第64期王将戦七番勝負第2局 Feed

2015年1月22日 (木)

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(本丸跡に到着!)

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(月山山頂に建つ、山中鹿介幸盛記念碑)

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(月山山頂にある勝日高守神社。古事記にも記載されている神社で、歴代城主が信仰していた)

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(このあと下山した。雨の日の下り道は危険)

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(この上が三の丸)

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(三の丸)

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(二の丸。広さは縦横20メートルほど)

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(雪が残っていた)

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(二の丸から北側を望む。晴れている日は中海が見えるそうだ)

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(はるか向こうに鷺の湯温泉が見える。左の白い建物が足立美術館。右の建物が安来節演芸館)

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(堀尾河内守・掃部父子を供養する「親子観音」)

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(月山富田城本丸に向かうに当たっての最大の難所「七曲がり」。写真ではわかりづらいが、この急斜面をじぐざぐと登る)

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(山吹の井戸。「山の中から吹き出す井戸」からその名が着いた。年中枯れることがなかったと言われており、兵糧攻めを受けている際にも役立ったと思われる)

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(まもなく三の丸)

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(「通路跡」。発掘調査で見つかった月山富田城の通路跡の断面が見えるようにつくられている。真砂土と粘土の層を交互に14層積み重ねて固めることで、頑丈なつくりになっている)

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(断面図)

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(山中御殿(さんちゅうごてん)跡。山中御殿は月山富田城の最も重要な地点。3つの登り口はここで合流し、本丸に行くには必ず通らなければならない場所だ)

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(山中御殿の石垣)

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(本丸に向かうには軍用道コースと相坂階段コースがある)

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(今回は階段コースを選択した。階段の蹴上部が高い。比較用に500mlのペットボトルを置いてみた。左側は登りやすいように段を増やしたようだ)

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(階段コースもなかなかの山道)

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(花の壇。一面に花が植えられたことからその名がついた。この上にあった御殿との連絡に適していたため、重臣が住んでいたと考えられる)

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(花の壇の門と堀の跡)

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(花の壇の向こう側に見える山に、月山富田城の本丸があった)

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(山中鹿介幸盛の銅像)

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(山中鹿介幸盛(1545-1578)は尼子十勇士のひとり。月山富田城が毛利家の手に落ち、尼子氏が滅亡したあと、尼子勝久を擁して主家の再興を目指したが、捕えられ殺害された。「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」のセリフで知られる)

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(山の中腹までは民家があり、車の乗り入れもできる。続きはまた後ほど掲載)