第64期王将戦七番勝負第2局 Feed

2015年1月22日 (木)

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(千畳平。「広場」の意味で、ここはまたの名を「太鼓壇」という。尼子経久の時代、ここにつるした太鼓で時刻を知らせたことに由来する。千畳平は尼子時代の「勢揃い場」でもあった)

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(樹齢400年を超える椎の木。毛利家が月山富田城を攻めた際、「難攻不落」と謳われるだけあって苦戦し、兵糧攻めに切り替えた。そのときにも城内に植えられていた椎の木の実を食べて持ちこたえた。昭和期までは毛利の射た矢じりが残っていたと言われている)

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(尼子時代、石垣の上には櫓が建っていた)

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(飯梨川の川辺にある三日月公園の遊具)

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(安来市立歴史資料館。古代や中世・戦国時代の出土品が展示されている)

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(歴史資料館の近くにある、月山の模型。幅、奥行きは3メートルほど。実際の月山富田城は東西、南北とも1200メートルあった)

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(月山富田城の各施設跡がわかるようになっている。複雑な尾根や谷が難攻不落の名城を作っていることがわかる)

本局が行われている鷺の湯温泉は、2004年に旧安来市・伯太町と合併する前は広瀬町だった地域です。戦国時代には尼子氏が居城とする月山富田城がありました。1666年の大洪水で月山富田城(当時既に廃城)の城下町は流され、新たにつくられた集落が広瀬町の中心部となりました。

鷺の湯温泉は広瀬町の中心部から少し北にある温泉街です。こちらも大洪水で源泉が流失しましたが、明治期に源泉が再発見され、温泉街として再興しました。

今回は広瀬町役場があった地域を中心に写真で紹介します。

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(富田川。奥に見えるのが三笠山で、尼子家臣・山中鹿介が三笠山にかかる三日月を見ながら「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と祈った)

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(尼子経久像。尼子経久(1458-1541)は因幡・伯耆・出雲・石見・隠岐・播磨・美作・備前・備中・備後・安芸の11ヶ国を勢力下に収め、尼子家の全盛期を築いた)

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(凛々しい馬上の姿)

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12時半に昼食休憩に入りました。ここまでの消費時間は▲郷田2時間8分、△渡辺1時間2分(持ち時間各8時間)。対局は13時半に再開します。

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(渡辺王将の昼食はてんぷらそば)

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(郷田九段の昼食はてんぷらうどん)

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戦型は角換わり腰掛け銀です。第1局と同じ戦型ですが、渡辺王将は△7四歩ではなく、△6五歩と位を取る形を選びました。

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上図の▲4八金は過去の実戦例にない手ですが、「このあとまた他の将棋と合流する可能性はあります」と畠山七段。参考棋譜を口頭で次々と提示してくれました。「▲斎藤(慎太郎五段)-△畠山鎮戦というのもあるのですが、それは(負けて)不愉快なのでなかったことにしてください」。斎藤五段は畠山七段門下です。

立会人の久保利明九段は「角換わりは予想していた戦型のひとつです。相居飛車にはなるかなと思っていました。いま郷田さんが▲4八金と指して工夫したところですが、どういう違いがあるのかすぐにはわからないですね。午後に入ったら郷田さんの狙いが見えてくると思います」。

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(検討する畠山鎮七段、久保利明九段、香川愛生女流王将。後ろにいる東和男七段は公務のためこのあと帰阪した)

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(畠山七段が演芸館で購入した「しまねっこ」とどじょうすくい踊りの菓子)

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(大盤解説会場は安来節演芸館)

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(大盤解説会場は安来節やどじょうすくい踊りが披露される演芸場)

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(解説会スタート)

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(畠山鎮七段)

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(香川愛生女流王将)

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(会場ではどじょうすくい踊りを体験できる)

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10時半、両対局者におやつが出されました。ともに飲み物のみ注文がありました。

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(渡辺王将の注文はホットコーヒー)

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(郷田九段の注文は抹茶とホットコーヒー)

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(抹茶は対局室の前でたてられた)