話に出ていた▲石田和雄八段-△大山康晴王将戦(いずれも肩書・段位は当時)をご紹介します。
開始日時:1981/05/19
棋戦:王位戦
戦型:四間飛車
持ち時間:6時間
場所:東京「将棋会館」
先手:石田和雄
後手:大山康晴
*棋戦詳細:第22期王位戦リーグ白組4回戦
*「石田和雄八段」vs「大山康晴王将」
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲4八銀 △3二銀
▲5六歩 △4二飛 ▲6八玉 △6二玉 ▲7八玉 △7二銀
▲5八金右 △7一玉 ▲3六歩 △6四歩 ▲6八銀 △7四歩
▲5七銀左 △9四歩 ▲2五歩 △3三角 ▲3五歩 △同 歩
▲4六銀 △3六歩 ▲3五銀 △4五歩 ▲3三角成 △同 銀
▲2四歩 △同 歩 ▲同 銀 △同 銀 ▲同 飛 △2二歩
▲5五角 △3二金 ▲3四歩 △6二飛 ▲2六飛 △8二玉
▲3六飛 △5四歩 ▲8八角 △6三飛 ▲2六飛 △6五歩
▲3七桂 △4九銀 ▲5五歩 △5八銀不成▲同 金 △6六歩
▲同 飛 △同 飛 ▲同 角 △2九飛 ▲5九銀打 △1九飛成
▲4一飛 △5六香 ▲5七銀打 △同香成 ▲同 角 △5六銀
▲2一飛成 △5七銀成 ▲同 銀 △3五角 ▲6八銀引 △同角成
▲同 玉 △3五角 ▲5七香 △5六銀 ▲4八銀打 △5七銀成
▲同 銀 △5六香 ▲4六歩 △5七香成 ▲同 金 △4六歩
▲8六桂 △7三銀打 ▲3二龍 △4七歩成
まで88手で後手の勝ち
「△9四歩に▲2五歩△3三角▲3五歩と仕掛けました。▲9六歩とあいさつするのは普通なんだけど、相手の玉形が中途半端なのでチャンスだと思ったんですよ」(石田和九段)
▲3五歩以下、△同歩▲4六銀△3六歩▲3五銀△4五歩。山田定跡でよく見られる進行です。
石田和八段は攻め続けます。▲3三角成△同銀▲2四歩△同歩▲同銀と銀をさばいてから、▲5五角。急所の角打ちで、一見先手好調です。
しかし、ここから大山流の受けが出ます。△3二金▲3四歩△6二飛。
事前に飛車をかわしたのが好手で、先手は▲3三銀と打ち込みにくくなりました。実戦は▲2六飛と態勢を立て直そうとしますが、△8二玉▲3六飛△5四歩▲8八角△6三飛となっては後手有利です。
後手は玉を囲うことに成功し、飛車が軽くなりました。△6三飛以下、▲2六飛△6五歩▲3七桂△4九銀と大山王将が反撃し、攻め続けてそのまま押し切っています。
「△6三飛ではっきりだめになっちゃったね。こっちは角を打った甲斐がないもの。はじめは行けるかと思ったんだけど、意外と向こうが大丈夫でねぇ。はじめはやりたいようにできるんだけど、そこからフワフワかわされて負けてしまったよ」とぼやく石田和九段。33年ぶりに検討し直し、「▲3三角成で▲5五歩が有力だったか」と言われました。
前から二つ目の図面も合わせてご覧ください。実戦は▲3三角成から攻めましたが、代えて「▲5五歩が現代流」(石田和九段)。▲5五歩は角を交換せず、後手の角を負担にして指そうという狙いです。例えば、▲5五歩以下△4三銀に▲2四歩△同歩▲2六飛と浮いて、3六歩を取りにいってどうか。先手は3六歩をとれば2~3筋を制圧できます。後手は3六歩を取られる前にさばきたいところですが、あの玉形では駒がぶつけにくいです。
「▲2六飛に△5四歩と角をさばこうとするのは王手飛車(▲5三角)があるからやりにくいでしょ。そうか、▲5五歩だったなぁ。でもねぇ、攻めていけると思っちゃったの。▲5五歩ねぇ、▲5五歩。思い起こせば、当時は子供が生まれる数か月前の対局だったか。いやー、やりたかったねぇ。紅組を優勝した、二上(達也九段)先生との挑戦者決定戦」(石田和九段)
後手の玉形の悪さを、猛攻して直接とがめるのではなく、反撃できないことを見越してじっと攻撃態勢を整えてとがめる。大山王将には渋い指し回しが必要だった将棋でした。
なお、石田和雄九段は石田和雄名局集を出版されており、日本将棋連盟東葛支部・柏将棋センターの師範を務めていらっしゃいます。そちらもぜひご覧ください。
(紋蛇)