2014年1月23日 (木)

17時30分過ぎ、「封じ手の準備を始めたね」と関係者の声。モニタを見ると、記録係の梶浦三段が長机の上で何かを書いている。どうやら封じ手のための図面を作っているようだ。現在の手番は羽生三冠。17時41分、羽生三冠は額に手をやり「そっか……」とつぶやいた。

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16時40分ごろ、控室では佐藤秀七段が継ぎ盤に向かい、その様子を佐藤義八段が後ろから見ている。先手の羽生三冠側を持って「何を指せばプラスになるのかわからない」と佐藤秀七段。現状は先手が1歩得だが、角の活用に課題が残っている。後手のほうが動きやすい形のため、何を指すか慎重にならざるを得ない。

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(栃木県の名産品「とちおとめ」)

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「仁徳天皇(313~399年)時代の創立で、さらに延暦年中(782~806年)に征夷大将軍坂上田村麻呂が応神天皇を祀って八幡宮にしたと伝えられています。その後、那須氏の崇敬篤く、那須氏没落の後は黒羽(くろばね)城主大関氏の氏神としてあがめられ、天正5年(1577年)には大関氏によって本殿・拝殿・楼門が再興されたと社記は伝えています」(那須神社|大田原市観光協会(栃木県)より)

那須神社は独特の意匠が評価され、昨年10月には重要文化財へ指定するよう答申されている。

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平安時代末期の武将・那須与一は、現在の那須郡那珂川町で生まれたとされる。元暦2年(1185年)2月、屋島に陣を構える平氏との戦いにおいて、扇の的を射落としたエピソードはあまりにも有名。

「与一、かぶらを取つてつがひ、よつぴいてひやうど放つ。 小兵といふぢやう、十二束三伏、弓はつよし、浦響くほど長鳴りして、 あやまたず扇の要ぎは一寸ばかりおいて、ひいふつとぞ射切つたる。 かぶらは海へ入りければ、扇は空へぞ上がりける。 しばしは虚空にひらめきけるが、春風に一もみ二もみもまれて、海へさつとぞ散つたりける。夕日のかかやいたるに、みな紅の扇の日出したるが、白波の上に漂ひ、浮きぬ沈みぬ揺られければ、 沖には平家、ふなばたをたたいて感じたり、陸には源氏、 えびらをたたいてどよめきけり」(『平家物語』より)

道の駅・那須与一の郷は、さまざまな施設を集めた道路施設。施設の屋根が扇型という点が大きな特徴だ。「那須与一伝承館」では、与一や那須氏に関する資料を見ることができる。

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ホテル花月のある旧黒羽町を歩くと、歴史を感じさせる建物をいくつも目にすることができる。足利銀行黒羽支店の建物は黒羽銀行として明治末期に建てられたもので、栃木県内に唯一残る土蔵造りの銀行。現在は有形文化財として国に登録されている。

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