2014年1月23日 (木)

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図は15時25分ごろの局面。第1局はこの時間にはすでに77手が進んでいた。第1局は定跡の蓄積がある形だったので進行も早かったが、本局は定型のない分野。手探りの状態に近くなるため進行が遅くなるのは必然とも言える。課題局面からの工夫を競った第1局と、構想の問われる第2局の対比は非常に対照的だ。

ホテル花月のロビーには駄菓子を吊った木がある。これはいったい? 栃木にはまゆ玉団子を作りお供えをする風習があり、団子はミズノキや樫の木につけて供えられる。お供えが終わるとこの団子は「どんど焼き」にするのだが、そのときに使われた樫の木が写真の木とのことだ。おわかりのとおり、「樫」と「菓子」をかけているわけ。この駄菓子は無料で、ホテルを訪れた人は事情を聞くと喜んでお菓子を取っていくそうだ。

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「松尾芭蕉と曾良は元禄2年4月4日(陽暦5月22日、1689年)に浄法寺図書(俳号桃雪)に招かれた。『おくのほそ道』によれば、『黒羽の館代浄法寺何がしの方に音信る、思いがけぬあるじの悦び、日夜語つづけて云々』とある。一族をあげて歓待したのでずい分居心地がよかったのだろうか、黒羽で十三泊、あしかけ十四日の長逗留であった」(旧浄法寺邸|大田原市観光協会(栃木県)より)

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大雄寺は茅葺きの本堂が特徴の禅寺。黒羽藩主大関家の墓所がある場所だ。付近一帯は黒羽城址となっている。「大関氏は、中世においてはいわゆる那須七騎の一として活躍し、近世になり、黒羽藩主として大名(外様大名)に成長した。大関氏は、一度の国替えもなく、江戸時代を通じて黒羽城を本拠に藩領内(本高1万8千石)を統治した」(黒羽芭蕉の館パンフレットより)
大関家は黒羽藩藩校を開設したが、その校名が「作新館」。宇都宮市にある作新学院中学校・高等学校はこの作新館に由来する。また東京には「大関横丁」という地名があるが、これは江戸時代に大関家の下屋敷があったことに由来するなど、現在まで影響を残している。

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