2015年1月

2015年1月11日 (日)

立会人の青野九段と記録係の吉田五段に1日目の感想、副立会人の中座七段に2日目の展望を聞きました。

青野九段「▲5五銀左から▲4七銀を用意してきたというのは意外な感じもします。もちろん、この手順は知っていて、途中からこうなると思ったでしょうけど、実戦は生き物で、気が変わることもありますから。郷田さんの直球に、渡辺さんが曲線で狙いをかわしてペースをつかもうとしていますね」

中座七段「封じ手以降で形勢が一気に傾いてもおかしくないですね。双方の角がどうなるか。△5五同銀▲4七銀の次の手が注目です。そこが勝敗にも影響を与えそうです。それにしても、▲5五銀左は驚きました」

吉田五段「先後同型になった昼食休憩の局面で、私の本(『これからの角換わり腰掛け銀』)では▲4五歩は先手大変ということで▲9八香の変化で千日手模様と解説しました。渡辺王将がどこで変化するのかなと思って見ていましたが、▲5五銀左は気付きませんでした。郷田九段が長考されたので、何を出してくるか注目したいです」

Img_149018時を回り、郷田九段はすぐに封じる意思を示して別室へ。

Img_150218時10分に封じ手を終えて戻ってきた。

Img_1511渡辺王将が封緘のサインを書き加える。

Img_1523郷田九段から立会人の青野九段に渡されて封じ手が完了した。

Img_15261日目が終了、対局は明日9時から指し継がれる。

明日は9時前から1日目の指し手が再現され、9時前後に封じ手開封、その後すぐに2日目の対局が開始されます。封じ手予想は△5五同銀で全員一致。次の手も▲4七銀の一択とされ、問題はそこで後手がどう指すかという点に絞られています。

郷田九段が動かないまま、刻々と時間が過ぎています。控室ではこのまま封じ手の可能性が高いと言われています。

Img_1460封じ手までで終了する1日目の大盤解説会は立会人と副立会人がそろい踏み。
中座七段「青野先生はどちら持ちですか」
青野九段「△5五同銀▲4七銀の局面で後手が大変だ、とは言ってましたが、悪い……とまでは言えないですよね」
中座七段「そうですよね。悪いという感じはしませんよね。ところで、このまま封じると、次の一手は間違いなく△5五同銀ですよね。封じ手予想クイズが全員正解になってしまいますがどうしましょう」
青野九段「ここまで来たらもう指さないでしょう。封じ手予想クイズは全員正解で大抽選会ということでいいじゃないですか笑」

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Img_146817時30分頃の対局室の様子。このまま封じるのか。

控室に戻ってきた青野九段は「もうこれは指さないです」と断言しました。「△5五同銀を指してしまうと▲4七銀と指されて、次の手を決めなければいけない。郷田さんは▲4七銀の局面でヘタな手を指したら負けだと思っているのでしょう。だから現局面で封じて▲4七銀の局面でどうするかを一晩考えるつもりですよ」とのことだ。

時刻は17時を回りました。
対局は前例のなくなった▲5五銀左の局面で郷田九段が大長考中です。

本局で使用されている駒は「掬水作・源兵衛清安書」。王将戦の対局用にと、地元経済人の集まりである「ゼロの会」が用意したものですが、書体の源兵衛清安は青野九段が勧めたとのこと。「書体は好みですが、私は源兵衛清安が一番落ち着く気がするんですよ」と青野九段。

Img_1328渡辺王将側の王将。

Img_1324郷田九段側の玉将。

Img_145817時を回って青野九段が封じ手の準備をしている。

掛川城は室町時代に今川氏が家臣の朝比奈氏に築城させたのが始まりとされています。戦国時代に後の土佐藩主、山内一豊が大規模な修築や城下町の整備を行って、東海の名城と呼ばれるほどになりました。
その後地震により天守は失われましたが、1994年に市民や地元企業からの募金より再建され、掛川のシンボルとして整備されています。

Img_1265広い敷地内は掛川城公園として、市民や観光客に親しまれている。

Img_1272 日本初の「本格木造天守閣」として復元された。

Img_1273二の丸の茶室が対局場になっている。普段は掛川茶を楽しむことができる。

Img_1274右奥が対局室。

Img_1267城内にはお堀も再建されている。

前日の記念写真に忍者が登場していますが、これは織田信長に討たれた今川義元の子、氏真が甲斐の武田氏に追われて掛川城に立て籠もった際に、徳川家康が掛川城を包囲して攻めていますが、そのとき服部半蔵率いる伊賀の忍者が家康の配下として活躍したことが由来となっています。

Img_1304平成7年に復元された掛川城の表玄関「大手門」。棟上のシャチ瓦が勇壮な構えだ。

Img_1305大手門脇には、歴代の掛川城主が記されている。

Img_1306歴代城主の中でも、豊臣秀吉の天下時代に城主となった山内一豊の存在は重要で、天守閣や大手門を築き、城下町の整備も行った。関ヶ原の合戦の後、一豊は出世して土佐に移ったため10年余りの掛川城主だったが、掛川の歴史に大きな足跡を残した。

Img_1307_2掛川城前を流れる逆川。右奥に見えるのが掛川城。ちなみに「掛川」という川はない。

Img_1311城下では特産の掛川茶が売られている。

Img_1312日本一の呼び声高い掛川の深蒸し茶。ピンからキリまであるが、手ごろなものもある。

Img_1314山内一豊と妻のお千代。お千代が密かにたくわえていた黄金で、天下の名馬を買ったという内助の功の逸話がある。司馬遼太郎の小説「功名が辻」では、その馬で織田信長が催した馬揃えに出た一豊が信長の目に留まるというエピソードが、序盤の見どころのひとつだ。

5915時34分、渡辺王将は▲5五銀左。前例を離れる新しい一手です。
ただし、この手を予想していた棋士が控室にひとり。前例の将棋を指していた西尾六段で、実戦の後、研究会でこの手が出ていたために、予想のひとつとして挙げていました。進行例は△5五同銀に▲4七銀。銀損してから角取りに銀を引くという意表の展開です。

「この手は初見ではまず当たらないです。西尾さんが絶妙のタイミングで来てくれて助かりましたね」と中座七段。その西尾六段は帰りの新幹線の時間があるため、この手が指されてすぐに控室を後にしています。
研究会で指された有力手の情報は、水面下で伝わります。渡辺王将の情報網にもこの手が入っていたのかもしれません。

Img_145615時過ぎ、現地近くの掛川市中央図書館で行われていた将棋講座イベントで講師を務めていた棋士が来訪した。右から西尾明六段、高野秀行六段、安食総子女流初段。西尾六段は本譜の前例を一昨年公式戦で指した。高野六段も角換わりのスペシャリストとして知られた存在。専門家の来訪に検討が盛り上がっている。

15時を回り対局室におやつが運ばれました。

Img_1446渡辺王将は「ベイクドチーズ」と「ホットコーヒー」。

Img_1448郷田九段は「和菓子(上生菓子=福梅と水仙)」と「抹茶」。

Img_1452控室では大盤解説から戻った中座七段が掛川茶で一服。手前のイチゴは「紅ほっぺ」だ。