函館は古くから天然の良港に恵まれ、北海道の玄関口として発展してきました。かつてはアイヌ語で「湾の端」を意味する「ウスケシ」から宇須岸(うすけし)と呼ばれましたが、豪族の河野政道が築いた館が箱の形に似ていたことから「箱館」と呼ばれるようになりました。函館山から見る夜景はその美しさで有名です。
函館ではこれまでに多くのタイトル戦が行われています。王位戦では1963年8月14・15日に第4期七番勝負第2局が湯の川温泉で行われました。第4期七番勝負は大山康晴王位に加藤一二三八段が挑戦したシリーズ(肩書は当時)。第2局の記録係を務めたのは当時初段の勝浦修九段でした。本局で立会人を務めている森内九段と野月八段の師匠です。
この第2局は大山王位のツノ銀中飛車に加藤八段の居飛車で対抗形になり、後手番の加藤八段が千日手をちらつかせて長い序盤戦になりました。大山王位が打開して戦いに入り、219手に及ぶ大熱戦を王位が制します。北楯修哉九段が執筆した観戦記を読むと、終盤で加藤八段が一分将棋に入り、「見る方も手の善悪をきびしく追及するのは酷だ」「それでもなお、一流棋士として正着を指してもらいたい、とねがう気持ちはあるけれど――」と、複雑な思いで観戦していた様子がうかがえます。七番勝負は大山王位が4勝2敗で防衛を果たしています。