2013年7月23日 (火)

有馬温泉(1)

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有馬温泉の守護神「湯泉神社」の縁起によると、「日本三古湯」と呼ばれる有馬の泉源を最初に発見したのは大已貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱の神であったとされています。有馬が世間に名を知られるようになったのは第34代舒明天皇(593~641年)、第36代孝徳天皇(596~654年)の頃からで、両天皇の度重なる行幸により関西の奥座敷として一躍有名になったと言われています。

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平安時代に入ると各種の文献にも有馬の名は散見されるようになり、多くの文人や天皇、また重臣たちも有馬を訪れていたことがうかがわれます。清少納言も枕草子の中で「出湯は、ななくりの湯、有馬の湯、那須の湯、つかさの湯、ともに湯」と書いています。有馬温泉は日本でも屈指の名湯として、当時から高い評価を得ていたことがわかります。

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有馬温泉の現在の基盤を築いたのは豊臣秀吉で、1597年から大規模な改修工事を行いました。その理由は前年に起こった慶長伏見地震の影響で温泉の温度が急上昇して熱湯になってしまったからで、有馬温泉の湯治効果を重要視していた秀吉は泉源の工事に着手することとなりました。以来350年間、有馬は泉源の工事を一度も行っていないそうです。

※ 参考: 有馬温泉観光協会公式ホームページ

8_5 (現在の有馬温泉の基盤を築いた「太閤」豊臣秀吉)

8_4 (有馬を愛し、度々足を運んだとされる秀吉の正室「ねね」)

(若葉)