寺町 眉山の麓に寺町と呼ばれる寺社が集まる地域があります。江戸時代、徳島藩主の蜂須賀氏が徳島城と城下町を作る際に、点在する寺社を集めて寺町が作られました。現在は、徳島市の定める「とくしま市民遺産」に指定されています。 眉山の地下水が湧く錦竜水の水場も寺町にある。
駒落ち講座と指導対局 現地では、武市三郎七段と長谷川優貴女流二段が、地元のこどもたちに駒落ちの将棋講座を行っています。このあと、引き続いて指導対局が行われます。 渭水祥雲閣の広々とした会場で大盤を使った講座が行われている。 武市七段が熱弁をふるう。 長谷川女流二段。
今泉四段は後手持ち 図は10時30分頃の局面。銀をぶつける▲7六銀に対して、菅井七段は堂々と△7六同銀と応じて戦いが始まりました。控室の今泉四段は「△5六歩の感触がいいので、自分なら後手を持ちたいです」と語っています。 清水女流六段との連名で揮毫した今泉四段。この色紙は現地の大盤解説会で次の一手の正解者にプレゼントされる。
眉山 徳島市は中心となる吉野川以外にも多くの川が流れている。こちらは新町川。 眉山頂上は公園として市民の憩いの場になっている。 眉山の麓のみやげ物店では徳島名産品が数多く揃っていた。 徳島は江戸時代に藍染めの原料となる藍の生産で栄えた。現在も阿波藍の名で伝統が受け継がれている。 藍染めの深みのある青はジャパンブルーとして世界でも高い評価を受けている。
銀がぶつかる 10時過ぎ、控室では「先手の角を巡る攻防。活用したい先手とおさえたい後手のねじりあい」と言われていたところで、羽生王位は▲7六銀と銀をぶつけました。△7六同銀なら本格的な戦いが始まりそうです。△8四銀と引く手もあるようで、それなら第二次駒組みが続きます。 強く銀をぶつけた羽生王位。