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2011年9月

2011年9月20日 (火)

南禅寺(4)

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(法堂は法式行事の行われる場所。1893(明治26)年に焼失し、現在の法堂は1909(明治42)年に再建された)

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(法堂の前で浄香をたく人も大勢いた)

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143
(本坊は宗務を取り扱う寺務所。写真は特別な行事のときだけ使われる大玄関)

(翔)

南禅寺(3)

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(「この門を 入れば 凉風 おのづから」。森永湛堂(俳号・杉堂)自筆の句)

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176

(翔)

南禅寺(2)

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(重要文化財の三門。現在立てられているものは1628年に藤堂高虎が大坂夏の陣で亡くなった武士たちの菩提を弔うために再建したもの)

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(翔)

南禅寺(1)

南禅寺は臨済宗南禅寺派の総本山で、1291年に亀山法皇が開創しました。
後醍醐天皇による禅寺の格付け制度の下、京都五山の第一位となり、その後、足利義満(室町幕府第三代将軍)によって「五山の上」(つまり別格)とされ、隆盛を極めました。
将棋界では「南禅寺の決戦」が有名。一時将棋界から追われていた阪田三吉の将棋大成会(現在の日本将棋連盟)復帰を記念して、1937年2月に木村義雄八段(後の十四世名人)との対局が行われました。持ち時間は各30時間で、7日間にわたる対局でした。阪田の2手目△9四歩が有名な対局です。結果は木村勝ち。

※写真はいずれも9月某日に撮影。

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(ウェスティン都ホテル京都から徒歩5分ほどのところに南禅寺はある)

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(湯豆腐は南禅寺周辺での勧進料理が起源とされている。現在でも南禅寺付近には湯豆腐の名店が多い)

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(この日は休日で、観光客が大勢訪れていた)

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(境内を流れる水路)

(翔)

相掛かり

_21先手が浮き飛車に構える相掛かりになりました。「▲3六歩~▲3七銀の中原流に進みそうですね。端歩を突かないのが最新形です」と新聞解説の山崎隆之七段。


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(「予想が外れました」と笑う山崎隆之七段)

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(『週刊将棋』紙を読む山崎隆之七段と桐山清澄九段。読んでいるのはともに、新四段誕生を知らせるページ)


(翔)

対局開始(3)

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(羽生善治王座)

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(渡辺明竜王)

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(駒を並べる両者)

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(渡辺竜王の2手目は△8四歩)

(翔)

対局開始(2)

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(先に渡辺明竜王が入室)

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(渡辺竜王が「机、遠くないですか? あちら(羽生王座)に棋譜見せてって言われたら届かないでしょう」と記録係の千田三段に声を掛けた。机を少し前に動かす関係者)

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(まもなく、羽生善治王座も入室。一礼のあと、駒袋から駒を出す)

(翔)

対局開始(1)

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(控え室のある「佳水園」前の井戸)

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(対局室、駒を磨く記録係・千田翔太三段と、ストップウォッチの時刻が合っているか確認する立会人・桐山清澄九段)

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(棋譜用紙)

(翔)

初手は▲2六歩

_1定刻の9時に対局開始しました。初手は▲2六歩。以下相掛かりに進んでいます。あまり予想されていないオープニングでした。

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(羽生善治王座の初手は▲2六歩)

(翔)

対局は9時開始

おはようございます。今朝の京都市内は雨が降っています。台風15号の影響もあり、終日雨が降り続くと予想されています。
対局は羽生王座の先手で、9時開始予定です。

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(対局室「可楽庵」はホテル7階にある)

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(現地は雨)


当地では第57期五番勝負第2局も行われました。当時の中継ブログもご覧ください。


(翔)

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