第68期王将戦七番勝負第1局 Feed

2019年1月14日 (月)

掛川城御殿は、城主の公邸、藩の役所として、公式式典の場などとして使用されました。現存する城郭御殿は全国でも数えるほどしかなく、国の重要文化財に指定されています。

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(建築様式は書院造。襖で仕切られている)

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(掛川大祭り三大余興で使われる獅子舞)

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(有名人の色紙と一緒に、過去の王将戦の扇子が飾られていた)

2日目の午後のおやつは、久保王将はアイスコーヒー、チョコレートムース。渡辺明棋王はフレッシュキウイジュース、モンブラン。
ともに、和菓子の生菓子(兎月堂)がおまけでつけられました。久保王将は若竹、渡辺明棋王は新春です。

Dsc_9240(久保王将のおやつ)

Dsc_9237_2(渡辺明棋王のおやつ)

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2日目の昼食休憩後、△5五歩から指し手のペースが上がっています。△5五歩は▲同歩に△4四銀と銀を使う狙い。渡辺明棋王は△4四銀に▲8五歩と8筋に手をつけました。

65△8五同歩に▲6六角△8四桂▲8五銀△3七馬。

70強く▲4四飛と切り、△同歩に▲7四歩と突いて、玉頭戦に持ち込むことに成功しています。

73△7四同歩▲8四銀△同銀▲同角に、△8六飛が王手角取りですが、以下▲8七歩△8四飛▲7六桂△8三飛▲8四銀で飛車を取り返せます。形勢は難しいながら、郷田九段は先手持ちです。

Dsc_9196(2日目の昼食休憩後の渡辺明棋王。玉頭戦に持ち込んだ)

掛川城は今川氏の家臣が掛川古城を築いたことに始まります。永正10年(1513年)ごろに現在の拠点に移り、今川氏の遠州支配の拠点となりました。
廃城されたのは、1869年(明治2年)です。現在は掛川城公園として、一般に公開されています。

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(四足門(よつあしもん)には、番所があった)

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(現在の天守閣は1993年に復元されたもの)

Dsc_9047(復元された登城路(とじょうろ)。クネクネと曲がっているのは、敵の侵入を防ぐために)

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(天守丸の霧吹き井戸。1859年、徳川家康が今川氏真の今川城を攻め立てると、井戸から立ち込めた霧が城を守ったという伝説があるという)

6112時30分、図の局面で久保王将が56分使って、昼食休憩に入りました。消費時間は▲渡辺5時間28分、△久保5時間19分(持ち時間は各8時間)。久保王将の昼食はビーフカレーの大盛り、渡辺明棋王はうな重。対局再開は13時30分。