2017年1月

2017年1月 8日 (日)

両立会人と記録係による封じ手予想です。

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「△5四飛です。▲5三歩成とされる展開は許せないので、5四の歩を取りますね」(神谷八段)
「△4四銀と予想します。3五の飛車を取れば、先手の攻めの力はかなり弱まりますからね。後手は勝負にいく決断をするべきときのような気がします」(飯島七段)
「△5四飛でしょうね。本当は△4四角や△4四銀とできればよいのですが、5三にと金を作られることになると後手がつらそうです」(渡辺正五段)

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【王将戦:郷田、積極策で攻勢 第1局 - 毎日新聞】

http://mainichi.jp/articles/20170109/k00/00m/040/016000c

久保九段が用紙に封じ手を記入し、封筒に入れて署名をしたものを郷田王将に渡します。郷田王将が署名を入れて久保九段に返し、久保九段が立会人の神谷八段に封筒を預けて1日目が終了しました。

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掛川城天守閣は外観3層、内部4層から成り、戦後初めて木造による天守閣の復元が行われた建築物です。白漆喰塗り籠めの外容は京都聚楽第の建物に、黒塗りの廻縁、高欄は大阪城天守閣にならったと考えられています。内部の急な階段は侵入者を蹴落とすためのもの。夜になるとライトアップされ、白い城壁が夜空に浮かび上がります。

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二の丸に建てられた掛川城御殿は江戸時代後期の建築物。現存する城郭御殿としては、全国でも数ヵ所しかない貴重なものです。掛川藩で使われ、明治以降は聚学所、女学校、掛川町役場、掛川市役所、農協、消防署などに使用されてきました。1980年に国の重要文化財に指定されています。

建物の中には、過去の王将戦の記念品が展示されていました。

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16時30分、郷田王将が今日3度目の長考に入っています。大盤解説会は飯島七段に代わって、ゲストで中尾五段と八代五段が登場しました。2人は静岡県の普及に尽力した(故)廣津久雄九段の系列にある棋士で、八代五段の師匠の青野照市九段、中尾五段はともに廣津九段門下。中尾五段と八代五段は師弟関係上の叔父と甥に当たります。

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天正18(1590)年、掛川城主の山内一豊は掛川城を拡張しました。竹の丸はこのときに造成されたと考えられています。竹の丸は北門の守りを固める位置にあり、防衛上の要所でした。現在は離れの中を見学でき、見どころのひとつに2階貴賓室のステンドグラスがあります。建物内ではカフェで休憩することもできます。

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15時40分ごろ、控室に高野秀行六段、中尾敏之五段、八代弥五段が訪れました。掛川で講座と指導対局をした帰りとのこと。八代五段は封じ手封筒に触れるのが初めてと話していました。神谷八段は浜松市出身、中尾五段は富士市出身、八代五段は賀茂郡出身で、静岡県が地元の棋士です。高野秀六段と八代五段は継ぎ盤で検討に加わり、中尾五段はその様子を見守っていました。

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掛川での王将戦開催は8年連続。過去の対局について下にまとめました(左側が先手、肩書は当時)。これまで郷田王将は1勝1敗、久保九段は1勝2敗です。

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2016年 第65期 第1局 郷田真隆王将○-●羽生善治名人
2015年 第64期 第1局 渡辺 明王将○-●郷田真隆九段
2014年 第63期 第1局 渡辺 明王将○-●羽生善治三冠
2013年 第62期 第1局 佐藤康光王将●-○渡辺 明竜王
2012年 第61期 第1局 佐藤康光九段○-●久保利明王将
2011年 第60期 第2局 久保利明王将●-○豊島将之六段
2010年 第59期 第3局 久保利明棋王○-●羽生善治王将