2022年1月

2022年1月10日 (月)

局面は終盤戦に入りつつあります。2日目の流れを簡単に振り返りましょう。

20220110a_2△6五歩に▲5六角が攻防手でした。△6六歩には▲7四歩がありますし(△8五桂と跳べないのが▲8六歩の効果で、筋違い角と桂頭攻めの相性は抜群)、持ち歩がたくさんあるので▲3五歩からの攻めが楽しみです。渡辺王将は△5四歩▲6五歩△5三金と中央に厚みを作って、先手の攻めを待ちました。

20220110b_2▲3五歩は角銀に活を入れる待望の一手。渡辺王将は駒を前進させる受けを披露します。△2四銀▲3四歩△3六歩▲2五桂△4五歩です。

20220110c守りの銀を2筋に出たのが意表の一着。さらに△3六歩で桂を2五に跳ばせて△4五歩は攻めをかなり呼び込んでいますが、5三の金の厚みを生かそうとしています。▲6五同銀は3七の地点が薄くなって瞬間的に角が使いにくくなりますし、▲6五同角は△4四金や△6五桂と後手の応手が広いので悩ましいです。
実戦は△4五歩に▲2二歩△同金▲4五角と応じました。▲2二歩は手筋で、△4六歩なら▲2一歩成から▲3三歩成と迫れます。しかし、利かされのようでも△2二同金で「効果がすぐにはわかりません」と森内九段。かなり複雑な局面で、損得の判断が難しいようです。

▲4五角以下△8八歩▲同金△3七歩成▲同銀で、現局面です。

20220110e_2▲3七同銀は意外な手でした。というのも、中央の厚みが薄くなるからです。例えば△6五桂や△4四金と後手の駒に前進されると、一気に制空権を握られる恐れがあります。渡辺王将はチャンスと見たのでしょうか、手を止めています。残り時間は▲藤井41分、△渡辺1時間11分です。

Dsc_3280(17時ごろの対局室モニタ)

神谷八段は△4四金に▲5六角△5五歩に▲6四歩△同銀▲7四角と切り返すのではないかと見ています。そこで「思いついちゃったからしょうがない」「こういう手が浮かぶようでは終わりだと思った」と話したのが、▲3七同銀に△4四歩です。歩切れになるのでかなり指しにくいようですが、▲5六角△5五歩▲6四歩に△同金と取れば先手の角を撤退させることができます。△4四歩、実はかなり柔軟な手かもしれません。

Dsc_2934(登城路「とじょうろ」を下っていく。クネクネと曲がっているのは、敵の侵入を防ぐため)

Dsc_2964(スポニチの事前インタビューに、渡辺王将は掛川城ゆかりの武将・徳川家康に扮し、藤井竜王は土佐藩初代藩主で、掛川城の城主としても有名な山内一豊の甲冑を身につけた。掛川城御殿にも、徳川家康と山内一豊の甲冑が飾られている)
【“家康”渡辺王将 王将戦4連覇へ 対藤井竜王は「自分の持っているもの出していきたい」】

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/01/01/kiji/20211231s000413F2570000c.html

【“一豊”藤井竜王 過去8勝2敗圧倒も警戒 楽しみは島根の割子そばの5枚盛り】

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/01/01/kiji/20211231s000413F2586000c.html 

Dsc_2915(城内には掛川城ゆかりの品々が飾られている。鯱はブロンズ製)

Dsc_2917_2(ツアーに同行したのは八代弥七段。お城を登るのはあまり経験がないようで、「急!」と驚いていた)

Dsc_2918(天守閣からは富士山が見えた)

Dsc_2923(左に流れる逆川は、崖がよく崩れて水害をもたらしたため、欠川から掛川と、地名の由来になったといわれている。掛川城のすぐ近くを流れ、天然の濠としても活用された)

Dsc_2920(左下に見える建物が、対局場の二の丸茶室)

掛川氏のシンボル、掛川城は今川氏の家臣が掛川古城を築いたことに始まります。永正10年(1513年)ごろに現在の拠点に移り、今川氏の遠州支配の拠点となりました。現在は掛川城公園として、一般に公開されています。

昨日はクラウドファンディング『【将棋】王将戦記念誌「70年のあゆみ」を出版するプロジェクト』の支援者との観戦ツアーが行われ、掛川城内を巡りました。

Dsc_2901

Dsc_2904(右端、スマホで掛川城を撮影する棋士は誰でしょう?)