月山富田城(2) (千畳平。「広場」の意味で、ここはまたの名を「太鼓壇」という。尼子経久の時代、ここにつるした太鼓で時刻を知らせたことに由来する。千畳平は尼子時代の「勢揃い場」でもあった) (樹齢400年を超える椎の木。毛利家が月山富田城を攻めた際、「難攻不落」と謳われるだけあって苦戦し、兵糧攻めに切り替えた。そのときにも城内に植えられていた椎の木の実を食べて持ちこたえた。昭和期までは毛利の射た矢じりが残っていたと言われている) (尼子時代、石垣の上には櫓が建っていた)