2019年4月 6日 (土)

Dsc_1333(蒋介石像に敬礼)

Dsc_1334(直立不動の衛兵が蒋介石像の左右にいたが、動き出した)

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Dsc_1348(左から2人目と4人目が任務に就き、3人の衛兵は足並みをそろえて戻っていった)

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(長い階段を上っていく)Dsc_1317(眺める先では……)

Dsc_1319(訪れた日がちょうど蒋介石の命日だったため、盛大なイベントが行われていた)

Dsc_1326(蒋介石像の前では、衛兵の行進)

Dsc_1329(足並みがぴったりそろっている)

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△4四銀が好手。△7七金からの詰めろで、▲4四同銀には△同角から飛車を追えば手が続きます。先手はなかなか▲3二角成△同歩▲同飛成を決め手にする組み立てにできないため、木村九段と三浦九段は後手勝勢と見ています。

Dsc_1795(控室で検討する木村九段と三浦九段)

Dsc_1303(総督府のあとに訪れたのは……)

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(中正紀念堂。1975年4月5日に亡くなった蒋介石に対する哀悼の意を込めて建てられた。一般開放は1980年)

Dsc_1360(高さ6メートルを超える、蒋介石像)

Dsc_1361(天井には国章)


72_218時、図の局面で永瀬七段が39分使って、夕食休憩に入りました。休憩時間は30分間。消費時間は▲永瀬3時間8分、△高見3時間50分(持ち時間は各5時間)。夕食は、高見叡王がクラブハウスサンド、フライドポテト、オレンジジュース。永瀬七段はグレープフルーツジュース、ホットコーヒーです。

Dsc_1781(高見叡王の夕食。フライドポテトが山盛り)

Dsc_1784(永瀬七段は食事の注文をキャンセルし、飲み物のみにした)

Dsc_1787(夕食休憩時の対局室)

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時刻は17時を過ぎ、終盤戦に入っています。直前の形勢について、ニコニコ生放送の藤井聡七段は「後手がよさそうだったが、先手が追い上げて形勢は難しい」と解説していました。△6五桂のタダ捨ては、▲同歩なら△6六桂があり、後に△7八銀成から詰ましにいったときに要の駒として大きく働きます。

Dsc_1641(昼の永瀬七段。追い上げているとの評判だ)

Dsc_1291(腹ごしらえをすませた一行が向かったのは……)

Dsc_1294(総統府。日本統治時代の1919年に建てられた建物で、建築家の辰野金吾も携わった。辰野金吾は現在の東京駅を設計した。赤煉瓦と白のコントラストが非常に似ている)

Dsc_1298(今日は建物の目の前でコンサートが行われていた)

対局場と同じホテル「圓山大飯店」の10階では、現地大盤解説会が行われています。現地の方を中心に100人を超える人々が来場し、会場は超満員です。

Dsc_1672(大盤解説会の会場は10階)

Dsc_1675_2(100人を超える人々が来場している)

Dsc_1686(解説の三浦九段)

Dsc_1691(台北支部の方が解説を中国語に翻訳して伝えていた)