2015年12月13日 (日)

28手目△2四飛の局面で12時半となり、昼食休憩に入りました。

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ここまでの消費時間は▲郷田1時間5分、△山崎1時間24分(持ち時間各5時間、チェスクロック使用)。対局は13時30分に再開します。

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(桐山九段と糸谷八段が一歩も引かない激しい変化を選ぶ)

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(詰みの有無を考え、いろいろな表情を浮かべる棋士4人。中央奥、東和男八段は日本将棋連盟常務理事として対局開始から立ち会っている)

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山崎八段の長考が続いていましたが、1時間8分の長考で飛車をぶつけました。序盤の長考に控室ではのんびりしたムードでしたが、手が進んだことで検討が始まりました。

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(桐山清澄九段と先崎学九段。先崎九段は叡王戦特設サイトの観戦記を担当する)

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(控室に糸谷哲郎八段が来訪した。早速検討に加わっている)

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(激しい変化もあり、考慮に沈む糸谷八段)

博物館構内東側の丘には庭園があります。

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(東の庭に通じる階段)

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(方広寺の石垣の裏から出土した石仏)

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(東の庭)

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(階段傍らの切り株にはキノコ)

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(東の庭には数々の石像が置かれている。これらは李氏朝鮮時代の朝鮮半島のもので、高貴な身分の人物の陵墓の装飾であった)

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(木々の葉が色づいていた)

写真はいずれも11月撮影です。

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(京都国立博物館の南にある三十三間堂。国宝。正式名称は蓮華王院で、その本堂が「三十三間堂」と通称される。1100年代、平安時代に建てられたが一度消失している。現在のものは鎌倉時代、1266年に再建された。撮影禁止の本堂内部には国宝「千手観音坐像」と重要文化財「千体千手観音立像」が安置されている。「千体~」は実際に1000の観音像がずらーっと並んでいて、壮観)

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(新成人による「大的大会」で知られるこちらは、三十三間堂の裏側にあたる)

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(柱と柱の間が「一間」。それが33個あるから「三十三間堂」)

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(庭園)

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(紅葉が始まっていた)

写真はいずれも11月撮影です。

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(豊国神社のさらに北側、方広寺。豊臣秀吉によって1595年に創建された)

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(重要文化財の梵鐘。1614年に作られたが、鐘に刻まれた銘文の「国家安康」「君臣豊楽」が徳川家康の名を分断し、豊臣家の繁栄を願うものとされ、大坂冬の陣のきっかけになった。現在の鐘は、有名な2つの4文字が白く囲われて見つけやすくなっている)

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(ハト)

写真はいずれも11月撮影です。

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(京都国立博物館の北側にある豊国神社。もともと豊臣秀吉をまつっていたが大坂夏の陣で豊臣家が滅亡したあとに一度取り壊された。現在の社殿は明治時代の1880年に再建されたもの)

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(ちょうど結婚式が行われていた)

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(豊臣秀吉の馬印・千成瓢箪にちなんだヒョウタン型の絵馬)

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(願いごと、かないますように)

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(タケノコ男がいる…らしい!?)