2018年5月26日 (土)

S116図の局面、三浦九段は形勢を「後手よし」と解説しました。ただ、気になるのは残り時間。先手は50分残していますが、後手はわずかに8分です。このシリーズでは、金井六段が少ない持ち時間で勝ちきれず、逆転されたことがありました。本局はどうか。


1941 (三浦九段は図からさらに先の変化を検討する)

塚田九段、森内九段がニコ生で振り返り解説をしました。石田九段もコメントしています。

S90

森内九段「△8三飛に対して、控室では▲3五角を検討していました。本譜の▲4八角は意外でした」


S102

塚田九段「左図で先手は歩切れ。▲6九玉としました。△6六桂を消した意味ですが、ここで玉引きは変調です。高見さんは少し苦しいとみましたか」


S112

塚田九段「△3三同角まで進んでいます。時間がたつと後手の陣形がよくなっていきそうです」

控室の評判は後手持ちですが、石田九段は「高見君は少し苦しめのほうが力を出す。まだまだ!」といいます。


Dsc_3144

04103

高見六段は103手目に7八玉を6九に引きました。先手は攻め続けてきましたが、▲6九玉はこれまでと手の方向性が違います。石田九段は「▲6九玉は粘りに出た手」と話しました。後手が指せているようです。

04090図の局面で夕食休憩に入りました。休憩時間は18時から30分間。ここまでの消費時間は▲高見1時間32分、△金井2時間26分(持ち時間は各3時間)。高見六段の夕食は山菜そば、おにぎり(梅、おかか)。金井六段は親子丼。


Dsc_3093_2 (高見六段の夕食)

Dsc_3078 (金井六段の夕食)

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17時ごろの局面。▲2七香と打ったところ。「角切って銀の狙いか(▲4四角△同銀▲4一銀)。高見君は最近、自信に満ちているね」と石田九段は話していました。ただ、形勢をたずねると「いやー、分からない」とのこと。難しい勝負のようです。

Dsc_3059 (控室の様子)

Dsc_3070 (しばらくして、森内九段も検討に加わった)

Dsc_3045 (東置繭所から街を望む)

Dsc_2981 (反対方向から)

Dsc_3041おやつを提供したカフェドロームは製糸場入り口の近くにある)

Dsc_2988 (歩いて数分のところにある「お富ちゃん家(ち)」)

Dsc_2994 (富岡製糸場のブランドブックが販売されていた)

Dsc_3000 (桑の実ワイン)

Dsc_1242 繰糸所(国宝)。繭から糸を取る作業が行われていた建物。長さ約140m。1段高い屋根は越屋根(こしやね)と呼ばれる。繭をゆでる際に出た湯気を逃がすために設けられた。

Dsc_1305 繰糸所内の様子。トラス構造で強度を高め、中央に柱のない大空間を実現している。

Dsc_1342 (初期の作業風景を再現したもの)

Dsc_1326 (後年の機械)

Dsc_1373 本日の対局場である首長館(重要文化財)。ブリュナ館とも呼ばれる。明治6年(1873年)にポール・ブリュナとその家族の家として建てられた。ブリュナは製糸場の設立指導者として来日、初代所長となった人物。自身の娘を製糸場の1人目の工女としている。ブリュナの帰国後は工女の寄宿舎や教育・娯楽の場として利用された。

Dsc_1525 首長館を別の角度から。

対局前日、関係者は富岡製糸場の施設を見学しました。

Dsc_1179 写真は東置繭所。西置繭所(保存修理中)とともに国宝に指定されてる。置繭所には乾燥させた繭を貯蔵された。大きな窓が設けられ、風通しをよくすることで繭の品質を維持していた。

Dsc_1199

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Dsc_1188 検査人館(重要文化財)。生糸の検査などを担当したフランス人男性技術者の住居。コロニアル様式が採用された風通しのよい造りになっている。後に改修され現在は事務所として使用されている。2階には政府の役人や皇族が訪れた際に使用された「貴賓室」がある。

Dsc_1251 女工館(重要文化財)。日本人女工の指導役であったフランス人女性教師の住居。本日は関係者控室として使用されている。