2020年7月19日 (日)

20200719128控室では、相入玉の可能性に触れられています。後手は香を取って、左辺の駒を取り除くとともに、△8三香が狙いです。
第2局のような相入玉が、再び見られるのでしょうか。
豊島竜王・名人は、栄養補給食品を食べ始めました。

Img_4451(控室のモニターから見た両者)

202007198416時前、豊島竜王・名人が持ち時間を使いきりました。永瀬叡王は残り5分ほどを残しています。
一時は先手よしといわれていましたが、現局面は互角に戻ったのではないか、との評判です。

Img_4391(豊島竜王・名人は辛抱を続ける)
Img_4441(控室に、杉本昌隆八段が顔を出した)

2020071970豊島竜王・名人が△4四歩と、自陣のキズを消したところです。控室の森内九段は「辛抱の一手」と評して、現局面から▲6五桂△6四銀▲8二角成△5五歩▲9一成香△5六歩▲5三歩(変化図)の進行を一例として挙げ、先手よしの見解を示しました。
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Img_4396(控室では、永瀬叡王が指しやすいとの見解が示されている)

万松寺の本堂は地下1階、地上5階建てです。本尊十一面観世音菩薩が祀られ、4つの納骨堂、からくり人形、鐘楼堂が造られています。2階が本局が行われる対局室です。

Img_4210(本堂。本尊十一面観世音菩薩が祀られている)


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Img_4199(昨日、祈祷が行われた不動堂)
Img_4211(白雪稲荷を祀る稲荷堂)

Img_4153(納骨堂の水晶殿)

Img_4194(納骨堂の天聚閣)

対局が行われている万松寺は、天文9年(1540年)に織田信秀(信長の父)により建立されました。正式山号寺号は亀嶽林 萬松寺(きがくりん ばんしょうじ)。徳川家康が9歳までこの寺で過ごしたといわれ、織田家、徳川家に縁があり、470年以上の歴史があります。織田信長が「うつけ者」と呼ばれる基になったといわれる「抹香事件」がおこった寺としても有名です。
お寺とは思えない近代的な建物で、巨大な白い竜のモニュメントは目を引きます。名古屋市の代表的な繁華街である大須商店街に立地し、多くの参拝者で賑わいます。

【万松寺】
http://www.banshoji.or.jp/
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Img_4217(重軽地蔵。願い事をしたあと、このお地蔵さんを持ち上げ、軽く感じれば願い事が叶うといわれる)

Img_4164(御深井観音。尾張徳川家初代藩主・徳川義直公の正室、春姫の守護仏)
Img_4167(仏足石。お釈迦様の足跡を石に刻む)
Img_4214(織田信秀公墓碑)

15時、対局者におやつが出されました。永瀬叡王がどらもっち(あんこ&ホイップ)、アイスココア、グレープフルーツジュース、アイスコーヒー。豊島竜王・名人はミチプー(ミッチリプリン)です。

※ミチプー、どらもっちは、いずれもローソンのオリジナルスイーツです。
https://www.lawson.co.jp/recommend/original/dessert/
Img_4431(永瀬叡王の注文)

Img_4422(どらもっちの上には、飴細工をあしらえる)
Img_4418(豊島竜王・名人の注文)

これまでの両者の対戦成績は、永瀬叡王の3勝、豊島竜王・名人の3勝(持将棋1)です。叡王戦では本七番勝負が初対戦となります。
戦型は初手合いが対抗形ですが、それ以降はすべて相居飛車の将棋です。

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新型コロナウイルスの影響により、4月頭から5月中頃まで東西交流の対局が延期となっていました。それに伴って対局が過密日程になっています。以下は、東西対局が解禁されてからの両対局者の成績です。
※表の「千」は千日手、「持」は持将棋です。
※肩書は当時のものです。

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50第2局まではすべて角換わりでしたが、本局は矢倉になりました。対局開始から30分、早くも千日手の筋がちらつく、難解な中盤戦に突入しています。
Img_4415(控室の森内九段。手前は叡王戦協賛の生茶と、永瀬叡王が第1局から飲み続けているキリンFIRE BLACK)