2020年6月21日 (日)

今井荘の目の前に広がる今井浜海岸は水質が最高ランク「AA」で、伊豆の中でも有数の遠浅で美しい海岸です。朝は晴れていましたが、午後に入って雲が多くなっていました。

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Dsc_9318(今日は波が荒い)

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Dsc_9390(太陽は雲に隠れている。部分日食の観測は難しそうだ)

Dsc_9305(広々としたロビーの一角にあるのは……)

Dsc_9226(今井荘で指された将棋・囲碁のコーナー)

Dsc_9230(初めて指されたのは、平成8年の第45期王将戦第1局、谷川浩司王将-羽生善治竜王・名人戦)

Dsc_9224(当時に使われた盤駒は青野九段自身が選んだ逸品。大切に保存され、現在もタイトル戦で使われることがある)

Dsc_9241(奥の写真には谷川-羽生戦。青野九段だけでなく、立会人を務めた青野九段の師匠・広津久雄九段が写っている)

54指し直し局は角換わりから後手の右玉です。右玉は千日手をいとわない作戦で、5二の金を寄った△4二金左は手待ちの方針です。豊島竜王・名人は▲2五桂とぶつけ、打開を目指しました。

数手進んで、▲5五歩の図です。

59_2▲5五歩は△同歩▲5六歩△同歩▲5五桂の狙いで、ツノ銀に対してはよく出てくる手筋です。永瀬叡王は△5五同歩▲5六歩に△5四歩と応じています。

64△5四歩は▲同歩なら△5五桂です。しかし、仮に▲4八金△5五歩▲5六歩△4二金▲5五歩△5四歩と進行すれば、金の往復運動と5筋の応酬で、千日手になる可能性がありました。

実戦は△5四歩に▲5四同歩。以下△5五桂▲5六銀右△5四銀左▲2二角と進んでいます。

69積極的な豊島竜王・名人の指し回しに、青野九段は「攻め切れるのかなぁ」と話しています。先手は△4二金から△3二金寄で角を取られるので、駒損覚悟で攻め込む必要があります。

Dsc_9445(指し直し局までの間、永瀬叡王は盤の前に座り、何本かバナナを食べていた)

Dsc_9446(部屋で休んでいた豊島竜王・名人が戻る)

Dsc_9450(深々と頭を下げる)

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Dsc_9460(豊島竜王・名人。昨年の名人戦の開幕局でも、後手番で千日手に持ち込んでいる)

Dsc_9467(駒を並べ終わったのは、対局開始の数分前)

Dsc_9430(千日手成立直後)

Dsc_9431(対局規定に目を通す。このあと、立会人の青野九段から即日指し直しが告げられた)

Dsc_9435(千日手が成立した盤面)

Dsc_9438(駒を片付ける永瀬叡王)

Dsc_9441(豊島竜王・名人。控室では敗勢と見られていた。千日手に持ち込めたのは歓迎だったか)

Dsc_9444(豊島竜王・名人はすぐに席を立った)

20200621_113 20時20分、113手目▲6六飛で同一局面4回となり、千日手が成立しました。消費時間は、▲永瀬4時間33分、△豊島4時間15分。指し直し局は先後を入れ替え、20時50分に行われます。

今井荘は昭和9年創業の温泉宿で、最寄り駅は伊豆急行線の今井浜海岸駅です。昭和23年、昭和29年には昭和天皇がご静養されました。春先は河津桜まつり、これからの季節は海水浴で多くの人々が訪れます。
将棋と囲碁のタイトル戦が何度も行われてきましたが、その1号局は平成8年の第45期王将戦第1局、谷川浩司王将-羽生善治竜王・名人戦。羽生七冠独占を達成したシリーズです。

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Dsc_9312(今井浜海岸から見た今井荘。浜辺には徒歩0分でいける)

Dsc_9308(昭和天皇が記念植樹された松)

82夕食休憩直後、▲1五歩に△5四歩が指されました。青野九段は「△1五同歩ではなく、△5四歩は先手に動かされた感じで、後手が苦しいと見ての勝負手」と評しています。▲1五歩の前の指し手は△3三桂でした。豊島竜王・名人の△5四歩は、2筋の壁を解消してから角交換で動く意味ですが、広い先手玉を効果的に追い詰めるのは大変です

91△5四歩から9手進んだのが▲5七銀上の局面です。形勢は先手よし。後手の攻めは△7七とから△6七とですが、と金を引いた瞬間に▲6八歩が手堅いです。これで後手は継続手が難しくなります。先手は▲5五金から▲6三銀成、▲1三歩成からカナ駒をもらって▲2三銀で必至級(▲1四角のラインが受けにくい)とあり、永瀬叡王が優勢といえます。

Dsc_9429(19時30分過ぎの対局室)