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2024年10月

2024年10月12日 (土)

福間女流五冠が仕掛ける

2024101260西山白玲が地下鉄飛車からの攻めを見せたのに対し、福間女流五冠が図の△3五歩で開戦しました。畠山鎮八段は「仕掛けには驚きました。△3五歩▲同歩△4五歩▲同歩△4四歩のような順は攻めが細くてやらないのではと検討していたところでしたので。△4五歩で△5五歩▲同歩を入れにいくような順もありますが、△5五歩自体が入るかどうか分からないです」との見解を述べました。

Img_0706(後手側を持って検討を行う畠山鎮八段)

高瀬川沿いを歩く(1)

高瀬川は人工によって作られました。1608(慶長 13)年に方広寺大仏殿の再建工事において、当時の鴨川は暴れ川で、川の水運を利用した運搬が難航。そこで資材運搬を担当した角倉了以が運河の開削を幕府に願い出て、1611 ~1614年に掛けて高瀬川を完成させたのが始まりです。水深は約30cmの浅い川で、二条大橋の西畔の水取り口から鴨川の水を引き込んで南下し、最後は伏見港を通って宇治川に合流する約10kmの運河でした。現在は鴨川によって京都側と伏見側に分断されていて、上流側を高瀬川(普通河川高瀬川)、下流側を東高瀬川(一級河川東高瀬川)、新高瀬川と呼ばれています(写真は数日前に撮影)。Img_0168_3 (高瀬川を下流に望む。流れはかなり緩やかだ)

江戸時代に作り上げられた高瀬川において、荷物のあげおろしをする船溜所を「船入」と呼び、川の西方の堀割を「一之船入」と呼びました。当時は九之船入まで九つの船入所が設けられていましたが、明治時代に入って高瀬川は舟運の機能を失い、一之船入だけが現存。それ以外の船入は石碑が立てられ址(跡)地となっています。今回はその9つの船入址をすべて見つけ出すべく、高瀬川沿いを歩いてみます。

Img_0126(現存する一之船入に浮かぶ高瀬舟。高瀬川の浅い水深に合わせ、浅く平らに作られている。当時は5・6隻を繋いで一組とし、それを14~15人で綱で引いて伏見から京都まで引き上げていた)

Img_0137(二条にある「一之船入」。高瀬川の起点でもあり、江戸時代の交通運輸の貴重な遺跡として国指定の史跡になっている)

Img_0127(京都・伏見は古くから酒づくりが盛んで、酒蔵のまちとして知られている)

Img_0117(一之船入史蹟)

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Img_0148(高瀬川沿いの街並み。写真は一之船入を望む形で、このあとは逆に南に下って船入址を目指した)

ザ・ゲートホテル京都高瀬川(1)

対局場となる「THE GATE HOTEL京都高瀬川byHULIC」は、この白玲戦七番勝負では3期連続の開催地となり、両対局者においても3期連続での戦いとなりました。ここでは当ホテルを紹介します(写真は数日前に撮影)。

Img_0276(THE GATE HOTEL京都高瀬川byHULICでの両者の対戦は3期連続となる)

Img_0273(映画村などでも知られる京都だが、なんとこの地が日本映画発祥地だった)

Img_0266(ホテルに入ると、まるで結婚式場かと疑うような輝きが目に飛び込んできた)

「ザ・ゲートホテル京都高瀬川」は、2020年にオープンしました。旧立誠小学校校舎の一部を再活用してリノベーションしたホテルで、校舎の面影とともに、伝統文化や地域文化が積極的に取り入れられています。所在地は阪急電車「京都河原町駅」から徒歩3分という好立地に建ちます。
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Img_0263(グランドピアノが置かれており、高級感が漂う)

Img_0428(入口付近には「立誠図書館」が。森鴎外によって描かれた「高瀬舟」の短編小説も置かれていた)

Img_0298(こちらは「立誠ひろば」。図書館ともどもかつての校庭が広場として再生されており、学生の姿も多く見られた)

【THE GATE HOTEL京都高瀬川byHULIC】
https://www.gate-hotel.jp/kyoto/ 

畠山鎮八段の見解

2024101245図の45手目、▲4七金右の局面について、畠山鎮八段に見解をうかがいました。
「ここまでは後手の福間女流五冠が銀冠に組む工夫を見せました。対して、西山さんはじっくり指す方針のようで、この▲4七金右でも▲3五歩と攻勢に出る手もありました。ただ、このあと、タイミングを見て▲3五歩をいくことになるかもしれないです。福間女流五冠は下段飛車にするのが形ながら、▲3五歩のときの△2四飛が手損にならないよう、この二段目のまま△7三桂などで突っ張って指すつもりかもしれません。現局面は左右反転すれば、5筋の形などがやや違ってきますが相居飛車に似た形ですね。今後の展開としては昔は先手から攻めるのが当たり前のようなところがありましたが、いまの将棋はそういうこともなく、本局でもどちらから先攻するか分からないです。ただ、がっちりと囲い合うような進行にはまずならないと思います」(畠山鎮八段)

Img_0679(畠山鎮八段は鋭い眼光を継ぎ盤に飛ばしながら見解を示した)

対局開始直後

Img_0620(9時、対局が開始された)

Img_0621(初手▲7八飛を指す西山白玲)

Img_0624(2手目△5四歩を指す福間女流五冠)

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Img_0626(6手目△5三銀までパタパタと指され、9手目の▲2二角成が指されたところで関係者が退出した)


午前のおやつ

10時、午前のおやつの時間となりました。西山白玲は「抹茶のくず寄せと大納言あずきのあんみつ、アイスカフェ・オ・レ、辻利緑茶」。福間女流五冠は「フルーツ盛り合わせ(メロン・ラズベリー・マスカット・和梨・オレンジ・バナナ)、桃ジュース、オレンジルイボス」です。Img_0651(西山白玲の午前のおやつ。抹茶のくず寄せと大納言あずきのあんみつ、アイスカフェ・オ・レ、辻利緑茶)

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Img_0661(福間女流五冠の午前のおやつ。フルーツ盛り合わせ、桃ジュース、オレンジルイボス)

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鴨川と高瀬川

高瀬川は鴨川西岸に位置しています。併走するみそそぎ川から取水している浅瀬の川で、二条から木屋町通沿いの西側を南下し、十条通の上流で一級河川鴨川に合流します(写真は数日前に撮影)。
Img_0073(一級河川「鴨川」。御池大橋から上流を望む)

Img_0088(鴨川から西下すると木屋町通が見え、高瀬川はその奥を平行して流れる)

Img_0109(鴨川から5分足らずで高瀬川にたどり着いた)

控室の風景

Img_0632(対局室から戻り、早速、継ぎ盤での検討が行われた)

Img_0639(西浦会長はプロのみならず、現代将棋の玉の囲いの薄さの流行について質問。いつもながら将棋への非常に関心が高い)

Img_0646(畠山鎮八段は「すいません、それは棋士が流行らせているのが責任です」と、笑い混じりに返した)

Img_0649(その後、清水市代女流七段も検討に加わった)

戦型は相振り飛車

202410128西山白玲の先手で初手から▲7八飛△5四歩と第2局同様の出だしを見せた本局。先に手を変えたのは西山白玲で、図から▲2二角成と角交換しました。この手は前例がなく、西山白玲用意の作戦です。その後は下図のように相向かい飛車の戦いに進んでいます。

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対局開始前

Img_0551(8時45分、西浦三郎・ヒューリック株式会社代表取締役会長.立会人の畠山鎮八段、清水市代・日本将棋連盟常務理事、記録係の木村朱里女流初段が対局室にそろっていた)

Img_0559(8時47分、福間女流五冠が入室)

Img_0565(8時49分、西山白玲も入室した)

Img_0570(駒袋に入った駒を盤に出す西山白玲)

Img_0618(駒を並べ終え、対局開始を待つ両対局者)