2008年12月24日 (水)

「永世竜王」誕生 【梅田望夫】

Dsc_0203  渡辺明竜王(24)に羽生善治名人(38)が挑戦する第21期竜王戦七番勝負は、羽生名人三連勝のあと渡辺竜王三連勝で最終局を迎えた。一局の将棋に両者の「永世竜王」称号がかかり、なおかつ羽生が勝てば「永世七冠」、渡辺が勝てば「史上初の三連敗四連勝」がかかるという、百年に一度あるかどうかの歴史的な対局となった。将棋の町・天童での激戦の末、渡辺竜王が大逆転防衛で初代「永世竜王」に輝いた。
 私はウェブ観戦記を書くために本シリーズ第一局が開催されたパリに赴いた。そこで私は、羽生の怖しさを見た。対局者である渡辺自身を含む棋士の誰もが「渡辺必勝」と断ずる局面に羽生はあえて誘導した。羽生だけがその局面を有利と判断し、その大局観の正しさを圧勝によって証明したのだった。終局後のパリのカフェで、
 「僕の将棋観が根底から覆されたんだ。僕だって読めていた手、でも初見で捨てた手、僕にとっていちばんあり得ない手が最善手だった。僕の将棋観が否定されたんです」
と語る渡辺の悄然とした姿を見つめながら、羽生が狙いすまして渡辺の急所をざっくり斬ったのだ、私はそう思った。
 「シリーズ中盤でこれをやられていたら、もう終わりだったですよ。第一局でよかったと思わなくちゃいけませんね。立て直せる時間があるかもしれない」
 パリでの別れ際に渡辺は私にこう言った。
 それから二ヶ月。第一局の衝撃の余波もあって三連敗を喫した渡辺だったが、第四局からは強靭な精神力で復活し、新境地の将棋を指した。どん底の状態に置かれたときに自らの回復までの時間を正確に推定し、言葉通りに将棋を立て直し「復活の四連勝」で竜王位を防衛した渡辺は、本当に見事だった。
 惜しくも敗れたとはいえ、羽生の今年の活躍はすさまじかった。年初には二冠(王座・王将)だった羽生は、今年の七タイトル戦のすべてに登場し、名人・棋聖を奪取して四冠、「永世名人」の資格も獲得した。「永世竜王」まで竜王位あと一期、という状況に変化はない。前人未到の「永世七冠」への挑戦は来年も続く。来期の竜王戦が今から待ち遠しい。
 故・金子金五郎九段が「プロの最高峰の将棋とは何か」について語ったこんな言葉がある。
 「勝負という形式をとりながら、人間と人間の交りである。生命をけずって、真底のものをさらけだして交ろうとする人間の願いを、将棋を通して現そうとする行為のことだと思う。」
 今年の竜王戦七番勝負は、まさに金子のこの言葉通りに、渡辺明と羽生善治という二人の人間が「真底のものをさらけだして交ろうと」したゆえに生まれた名勝負だった。だからこそ私たちに大きな感動をもたらしたのである。

(2008年12月19日 読売新聞・朝刊文化面から転載)