2008年10月19日 (日)

【梅田望夫観戦記】 (8) 繰り返す「青と壮」の戦い

 羽生挑戦者の封じ手は△2四同歩であった。これで二日目の勝負が始まった。

 すぐに渡辺竜王が▲同飛。ここまでは当然の推移である。

 ▲同飛の局面での次の一手としては「△4五歩か△6五歩」という難しい選択肢があったので、△2四同歩の局面で封じた羽生挑戦者は、当然指される▲同飛の局面で何を指すかを一晩考えることができたわけである。そして△6五歩がほどなく指された。

 渡辺竜王がこういう状況を避けるためには、▲2四歩の前の局面(選択肢がある局面)で封じなければならなかったわけだが、そうするためには二日目の残り持ち時間に一時間半近くの差がついてしまう。渡辺竜王は、その残り時間の差のほうを重視し、昨日午後5時台に、▲2四歩を指して、封じ手の権利を羽生挑戦者に渡したのだった。

 これが封じ手と持ち時間をめぐる昨日の二人の駆け引きであった。

 

 ところで、昨日の勝負どころの対局室の中で、私は「渡辺の青」「羽生の壮」を痛感したわけだが、羽生の若き日の勝負のなかで、渡辺にとってのこのたびの竜王戦にあたる「青と壮」の戦いはいったい何だっただろう。

 それは間違いなく、本局の立会人・米長邦雄将棋連盟会長(当時名人)に挑戦した、1994年の名人戦である。

 当時23歳だった羽生は、初の名人戦挑戦を前に「普通の定跡形は指さない」と宣言し、第一局に先手番を握ると、いきなり5筋の位を取って中飛車を指した。名人戦という大舞台で、大先輩である米長を相手に「先手なのに飛車を振る」「矢倉を指さない」というのは、もうそれだけで無礼なことだと憤慨する古参棋士も多かったという。わずか十数年前まで、こんな非合理的な発想が将棋界にははびこっていたのであるが、羽生は「盤上の自由」を名人戦の棋譜で主張したのだった。

 ちなみに、現代将棋の解説・啓蒙にかけての第一人者・勝又清和六段は、その著書「最新戦法の話」第5講「ゴキゲン中飛車」の冒頭で、94年の名人戦第一局について言及し、

 『中央に位を取り、すべての金銀が連絡した美しい陣形ですね。羽生は5筋位取り中飛車の「戦法としての優秀性」を再認識させたのです。(中略)「得意戦法は持たないほうがよい」「よい戦法ならば棋風にこだわらず使うべきだ」という「羽生哲学」は徐々に浸透し、トップ棋士の戦法に対する考え方が変わっていきます。』

 と述べ、名人戦初戦に羽生が米長にぶつけた5筋位取り中飛車という構想が、90年代後半から大流行するゴキゲン中飛車の発想につながっていったと分析している。羽生は、ちょうど渡辺と同い年の頃、米長との名人戦での「青と壮」の戦いを制することで、現代将棋の扉を開いたのである。

 羽生自身、ベストセラー自著「決断力」(角川書店)の「はじめに」で、94年の米長との名人戦のことばかり書いている。私も本を書くのでよくわかるが、著書の「はじめに」で何を題材にとるかは練りに練って選ぶものだ。「決断力」の出版は2005年7月。つまり名人戦の話はその10年以上前の話で、その間には七冠制覇の一局もあったから、別にこの名人戦を書くのが当然という感じではない。にもかかわらず米長との名人戦に「決断力」の「はじめに」で言及したことは、羽生にとってこの勝負が、人生においていかに重いものだったかをよくあらわしている。羽生は当時を振り返って、こう書いているのだ。

 『巷には、「米長、頑張れ」の声が満ちている。それは当然、私の耳にももちろん届いてくる。

 対局前から"様々な反響"が起こった経験をしたのはこの時が初めてだった。何の苦労もなくのし上がってきた二十三歳の若い棋士と、当時、五十歳、幾多の挑戦と挫折をくり返して、ついに栄光を掴んだ「中高年の棋士」米長先生との対決――こういう構図を描かれてしまえば、それは米長先生を応援したくなるのが人情というものであろう。加えて、私は名人戦を前に物議をかもしていた。(中略) 周囲には、

 「羽生、討つべし」

 との非難の声が広がっていたのである。(中略)

 ……こうした雰囲気のなかで第六局は始まろうとしていた。

 その前の三日間、私は、本当に真っ暗闇の道を一人で歩き続けている気持ちだった。』

 

 このたびの渡辺・羽生戦は、いまのところ、まだ第一局ということもあり、ここまでの緊張からは遠いようにも思える。しかし今年の春頃から始まった「羽生、七冠再び」という世論の盛り上がりを見た渡辺は、当時の羽生のような気持ちを感じ続けていたかもれない。

 この夏の王位戦で、深浦(羽生の一歳年下)が羽生を下して王位を防衛していなかったら、いま羽生は五冠で「七冠への足がかり」となる六冠目を渡辺から奪うべく、このパリに来ていたはずだ。そういう状態で今日の日を迎えていたら、さらに今頃の世の中の雰囲気は、渡辺にとってアゲンストになっていただろう。

 

 昨夜の夕食を終えて部屋に戻ったら、七冠ストッパーの深浦王位(渡辺防衛を予想していることは三回目のエントリー「(3) F1と装甲車」で触れた)から、こんなメールが届いていた。

 『封じ手を見て、直感は渡辺勝ちです。ただ何か気になるんですね。羽生さんの動向が(パリでの単独行動など)。初戦の結果はかなり大きいのですが、シリーズとしてはどちらが勝つかわからなくなって来たというのが率直な感想です。「堅さと攻め」に対する羽生さんの作戦が「こう来るのか」と意表を突かれましたし、どんな作戦でも指しこなせる、という自信も感じさせる序盤戦と感じました。2日目は渡辺竜王の攻めを羽生さんがどういなして行くか、という展開でしょうね。今家族の寝息を聞きながらメールしてます(午前6時頃)もう1冠はここに居ます(笑)今日はディズニーシーで遊びますが、竜王戦中継は手離せないでしょうね。プライベートは思い切り遊びたい自分としては珍しい事です。』

 そう、将棋界七冠のうち、六冠(羽生善治、渡辺明、佐藤康光)はここパリにいて、「もう1冠はここに居ます」の深浦康市だけが、日本の「ディズニーシー」の携帯画面から、この対局を凝視している。そう、七冠のうち「羽生世代」以外が持つタイトルは、渡辺の竜王位たった一つなのだ。

 深浦さんの封じ手時点でのこの感想を読んだ米長会長は、

 『君も将棋がわかるようになったね。』

 という一行のメールを深浦さんに出していた。