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2014年9月18日 (木)

箱根

箱根は東西交通の要衝だが、道の険しさは「天下の険」と謳われるほど。江戸時代には関所も置かれ、旅人にとって大きな難所だった。将棋界では「名人位の箱根越え」という言葉が有名だ。家元制度が発足して以来、東の棋士が保持し続けた名人位の座は、第11期名人戦で大山康晴九段が木村義雄名人を破ったことで西にもたらされた。
江戸時代後期に温泉場での宿泊が「一夜湯治」として定着すると、箱根は多くの旅人で賑わうようになった。今回の対局地である強羅も、強羅温泉として親しまれている。強羅温泉は明治27年に早雲地獄からの引き湯で開発が始まり、昭和24年に初めて温泉採取に成功、現在の原泉数は46箇所にのぼる。

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(文)

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