2015年3月

2015年3月27日 (金)

旧東奥義塾外人教師館では、1階の喫茶店で「津軽藩再現珈琲」を飲むことができます。江戸時代、北方の守りを命じられた弘前藩士は寒さやビタミン不足による浮腫病に苦しめられており、その薬としてコーヒーが配給されていました。土瓶の中で豆の入った麻袋を揺らすと、じわっと色が濃くなってきます。

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(旧東奥義塾外人教師館2階の書斎)

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(コーヒーを楽しみつつアップルパイをいただく)

14時45分ごろ、現地に島朗九段が来訪。「進行を確認しないと」と継ぎ盤の近くに座りました。しばらくして先崎九段がニコニコ生放送に電話出演。「第6局も終盤ですごいことがありましたから。私も中継を見ていました」と話していました。

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控室には弘前の名産品や名物が差し入れられています。

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(弘前といえばりんご。左側がサンふじ、右側が王林)

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(バナナ最中。バナナが高級品だった時代、味わいを再現しようと菓子職人が試行錯誤した末に生まれた)

弘前市にある歴史的な建造物を、市のパンフレットから紹介します。

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■青森銀行記念館(重要文化財)

ルネサンス様式を基調としながら木造の外壁に瓦を敷き詰め、漆喰を厚く塗り込めて防火に配慮するなど、和洋折衷の独特の趣がある青森銀行記念館は明治37年(1904)、第五十九銀行本店本館として建設されました。装飾革を和紙で模した金唐革紙が天井を華やかに飾り、照明器具を吊すメダイオンには漆喰のレリーフ。数々の洋風建築を手がけた明治の名工・堀江佐吉が技術の粋を集めた傑作です。

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■旧東奥義塾外人教師館(県重宝)

レンガ積みの基礎とたくさんの窓が特徴的な建物は東奥義塾で招いた外人教師の住居としてアメリカのメソジスト伝道本部が設計したと伝わります。1階東側の張り出し窓にはバージボード(飾り付板)と呼ばれるアメリカ建築特有の飾りを施し、繊細さを添えています。内部は白漆喰を主体とするシンプルな仕上げですが折り上げ天井や帯状の装飾などで空間に変化をもたらしています。

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■旧弘前市立図書館(県重宝)
教会を思わせる八角形の双塔をもつ対称形。ルネサンス様式を基調としながら漆喰塗りの外壁や木鼻を用いて庇(ひさし)をせり出させるなど随所に和の様式が取り入れられています。明治39年(1906)に第八師団関係の工事や納入で大きな利益を得た斎藤主(つかさ)や堀江佐吉など5名の篤志家が新設し、市に寄付しました。

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■弘前市長公舎(旧第八師団長官舎)(登録有形文化財)

柱や梁などを外壁に露出させたハーフティンバー風の洋館は大正6年(1918)、第八師団長官舎として建設。市役所の新築にともない3分の2が解体、残りが曳家され「弘前市長公舎」として保存・公開されています。玄関中央部に鋭角の切妻破風、屋根には3つのドーマー窓を設け、大正ロマンを感じさせます。

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(街を歩きつつ、下に目を向ければりんごを象ったマンホール)

弘前公園の追手門口近くには追手門広場があり、さまざまな施設とともに歴史ある建造物が残されています。奥にはこうした市内に残る建造物のミニチュアが並び、巨人になった気分を味わうことも。

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12時30分、図の局面で昼食休憩に入りました。消費時間は▲郷田6時間13分、△渡辺4時間49分。昼食は渡辺王将がカニのトマトクリームスパゲティ、郷田九段がいくら丼。対局は13時30分に再開されます。

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長勝寺まで続く並木道は、33もの曹洞宗寺院が林立していることから禅林街と呼ばれます。同じ宗派の寺院がこれだけ集まるのは非常に珍しいこと。長勝寺を正面に据える「上寺通り」と、赤門で分岐する「下寺通り」があり、下の写真は上寺通りを撮影したものです。

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