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2009年5月 7日 (木)

研究と対極にあるもの

 さて、今日の対局に先立つ5月1日の対局(久保棋王対木村八段戦)で木村八段が勝ったことで、東京・将棋会館で行われることとなった。仮に、久保棋王が勝っていれば、関西将棋会館で行われる予定であった。ゴールデンウィークということもあり、1日の結果を受けての中継の準備は、何かと不自由があり、苦労はするが、連休明けに名人戦七番勝負第3局、そしてこの対局と、休みボケも吹っ飛ぶ大一番が行われることは、刺激的だ。

 実は、1日の19時過ぎ頃であろうか、さすがに久保棋王-木村八段戦の結果が気になった。関西将棋会館の御上段の間で行われてる対局はIPカメラによって、東京の事務所でその様子を見ることができる。丁度久保-木村戦を見ていた野月浩貴七段、佐藤和俊五段に形勢を尋ねてみると、どうやら木村八段の勝勢らしい。
佐藤(和)五段は、
「あとはどう決めるか?ということでしょうね。」
野月七段が冗談っぽく、
「Tさん(※筆者のこと)でも勝てますよ。」
実際に、アマチュアの私がこの局面を引き継いで勝てるか相当怪しいのだが、プロ的には、その差が逆転を呼ぶ状況でないことを意味している。勝負であるので、何があるか分からない。しかし、よほどでない限り7日は東京決戦となるだろうと思った。

 タイトル戦の番勝負や挑戦者決定戦などの一局が行われていると、事務所の一角で、棋士達がその対局を、ああでもない、こうでもない、と検討し分析し、その会話を聞きかじることができる。但し、棋士達の検討は、当然ながら、プロ同士で交わされるので、それについてゆく事は至難である。尤も、会話の処々に冗談が入ったりするので、理解できる、できないは別として、聞いていて飽きることはないだろう。

 昨今の情報通信技術の発達に伴い、他で行われておる対局が容易にリアルタイムで見ることがでるようになった。当然ながら、その対局は、複数の棋士の将棋頭脳によって、たちまち紐解かれてゆくこととなる。これは、梅田望夫氏の近著「シリコンバレーから将棋を見る」の中でも度々現れるキーワード「知のオープン化」作業である。この「知のオープン化」作業自体が、珍しいことではない。棋界では、以前から至極当たり前に行われていたのだが、そのスピードがポイントだと言える。加速化に、情報通信技術の発達が明らかに加担した。それに呼応するかのように、棋士達の将棋の研究は、細分化されてゆくこととなった。時として、こんな局面までも定跡化されているのか?と驚くことがある。それは、ある意味で情報通信技術の賜物かもしれない。

 一時期、パターン化された多くの定跡、それも超ミクロレベルでの研究がなされ、それらをどれだけ自分の引き出しに入れておくことができるか?といったことが勝敗を決める大きな要素であった。当然のことであるが、勝負に勝つためには、いかに効率の高い手を追求することができるかにある。これら効率を追求する弛まぬ努力とその結果によって、今日が在るわけであるが、ここ数年の現代将棋では、ある種のパラダイムシフトが起こっていると感じる方も多いと思う。

 再び梅田氏の「シリコンバレーから将棋を観る」からの引用になって恐縮であるが、第一章の中の「盤上の自由」という項目の中で、

"羽生に現代将棋の本質について尋ねるとき、決まって彼が語るのは、つい最近まで「盤上に自由がなかった」ということである。それをはじめて聞いたとき、私は「あれっ」と思った。なぜなら将棋を指すときに私たちは、ルール違反さえしなければ、盤上でどんな手を指したってかまわないからだ。盤上の自由とは、将棋というゲームに、おのずと内包されたもののはずである。"(※梅田望夫著「シリコンバレーから将棋を観る」29頁から引用)

と書いている。非常に微細且つ深い研究により、終盤に至るまでの徹底した定跡化をしていった結果の反動なのか、ある意味その成果物かもしれないが、いつの頃からか序盤の数手に嘗ての常識では考えにくい手があらわれるようになった。これには、様々な要因や経緯があってのことではあることは言うまでもないが、序盤数手のバリエーションが増え、そういった棋譜が増えたことは確実に言えるであろう。

 一般的に、将棋を初心者に指導するとき、まずは、大駒(角や飛)を有効に使うために角道をあけましょう、もしくは飛車先の歩を突きましょう、と教える。それが定跡である。ややもすれば、それ以外の手を指すと叱られかねない。しかし、現代将棋では、それを覆す。序盤早々に端歩を着き越してみたり、いきなり飛車を3筋に振ったり、角交換してわざわざ一手損までしたりする。いずれも棋理に反している。否、少なくとも少し以前までの棋理にと書いた方が良いだろう。今や、これらの指し手や作戦を頭ごなしに否定するプロ棋士はいない。つまりは、序盤の指し手の選択肢が格段に増えている。後手番の勝率が昨年度、先手番の勝率を上回ったことも、これらに少なからず起因すると考えれる。もちろん、プロの場合、高度な勝負の駆け引きが、そこに介在する。しかし、一昔前のように、戦法も典型的に、「これは、○○戦法。」と区分けすることすら困難になっている。そして、呼応するかのごとく、純粋な居飛車党、振り飛車党が少なくなって、その両方を使い分けてゆくという時代になっている。

 しかし、その対極とも言えるのが、本局なのかもしれない。研究した将棋の中で、戦いを挑み、それに受けてたつ。これも、また将棋を観ることの醍醐味の一つであることに相違ないだろう。いわゆる隠された表層に出てこない部分での葛藤やらが沢山あり、それらが螺旋状にからまって、勝負がある。木村八段の△6二飛から△4四銀、それに対する稲葉四段の長考がそれを物語っている。実際の勝負とは、実に深い。

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